青園雅紘
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人物・評価
青園の人物と経営手腕を評するものとして、日下淳の以下の文章を引用する。
青園氏は豪胆な性格で知られ、そこに大川氏が目をつけてスカウト。95年野村證券常務を最後にCSK副社長に移った。社長に就任するのは2000年6月。翌年の01年3月、大川氏が亡くなり、血を血で洗うような権力闘争に突き進む。青園氏のCSKでの歩みは抗争の歴史であった。(中略)権力を握った青園氏は、大川氏時代にグループ入りした企業群を切り離した。消費者を対象にした事業はグループから外し、企業間取引に事業を集中するというのが、その理由だ。これを大川路線の否定と受け取ったグループ会社の経営者や幹部社員は猛反発。大川氏は創業者としてのカリスマ性で求心力を維持できたが、スカウトされてトップに就いた青園氏は資本の論理で迫ったから、社内は一触即発の危機的状況に至った。 — CSKのドン・青園雅紘会長が引責辞任(下)[4]