青地雄太郎

From Wikipedia, the free encyclopedia

青地雄太郎

青地 雄太郎(あおち ゆうたろう、1865年5月25日慶応元年5月1日[1]) - 1926年大正15年)12月24日[2])は、明治から大正時代の政治家衆議院議員(4期)。

青地半三郎の長男として駿河国志太郡前島村(静岡県志太郡青島村、青島町を経て現藤枝市)に生まれる[3]1884年(明治17年)11月、家督を相続した[1]静岡中学校に学ぶ[4]。静岡の朝陽義塾、掛川の冀北学舎を経て東京専門学校に入学し[3]1886年(明治19年)同校政治経済科を卒業する[2]1889年(明治22年)青島村初代村長に就任し、現在の東海道本線藤枝駅の青島への誘致、役場や学校の建設、伝染病予防のための隔離病舎の建設などに尽くした[3]。ほか、地方金融の整備のため青島実業銀行(のち頭取[2])を創立し、物流集散のため青島運送合資会社を立ち上げた[3]。この間、青島村会議員、志太郡会議員、同参事会員、徴兵参事員、学務委員、所得税調査委員などを務めた[2]

1902年(明治35年)8月の第7回衆議院議員総選挙では静岡県郡部から出馬し当選[2]。のち立憲国民党に属し衆議院議員を通算4期務めた[2]1915年(大正4年)政界を引退し実業界で活躍した[3]。藤枝駅前に銅像が立つ[3]

栄典

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI