青山幸度 From Wikipedia, the free encyclopedia 青山 幸度(あおやま よしのり、寛文元年(1661年) - 寛保2年3月15日(1742年4月19日))は、江戸時代前期から中期の旗本。初めは天方姓を称した。通称は次郎大夫、藤七郎、喜兵衛。号は宗智。 寛文元年(1661年)、青山幸高の次男として生まれる。 元禄4年(1691年)6月25日、桐之間御番となる。同年9月25日に小納戸に転じる。12月2日に職務を免じられて小普請となる。元禄5年(1692年)3月18日、書院番となる。元禄14年(1701年)7月5日、父・幸高の領地の内、摂津国武庫郡の300石を継ぐ。宝永3年(1706年)3月に職を辞し、正徳3年(1713年)3月19日に書院番士に復職し、享保16年(1731年)3月9日に老齢により職を辞する。 享保18年(1731年)8月14日、天方から青山に改姓する。享保20年(1735年)12月21日に致仕し、家督は長男の幸猛が継いだ。 寛保2年(1742年)3月15日、死去。享年82。墓所は梅窓院。 系譜 父:青山幸高 母:天方倶通娘 室:不詳 子女 長男:青山幸猛 次男:宮崎重教 - 宮崎成久の養子 孫:青山幸高 - 重教の次男。幸猛の養子 娘:本多利紀妻 娘:三枝国中妻 出典 『寛政重修諸家譜』巻第729 この項目は、日本の歴史に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:日本/P:歴史/P:歴史学/PJ日本史)。表示編集 Related Articles