骨董通り
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概要
正式には「南町通り」というが「高樹町通り」とも呼ばれ、「南青山骨董通り」または「青山骨董通り」ともいう。沿線にはブティックやオフィスビル、マンション、骨董品店などがある。道路は片側一車線の対面通行であり、全線に渡って両側にパーキングメーターが設置されている。電線類地中化は実施されていない。
六本木通り(西麻布・高樹町)と青山通り(青山・表参道)とを繋ぐバス通りであり、六本木通りに青山学院下のトンネル(青山トンネル)が開通する以前には、渋谷と六本木を繋ぐ主要路としても機能していた。当時は都電6系統が渋谷駅から青山通りを青山六丁目(現 南青山五丁目交差点)より折れてこの道を走っており、この経路は都営バス渋88系統へと継承されている。
都市計画道路としては、平成28年公表の東京における都市計画道路の整備方針(第四次事業化計画)においても、「車道混雑度の緩和のほか、自転車の走行と快適な歩行空間の確保に加え、特に広域避難場所として位置付けられている青山学院・実践女子学園一帯に接続する路線部であること」[5]を理由として、南青山五丁目交差点から東京都市計画道路補助第5号線と交わる南青山六丁目交差点までの区間について、区施工の優先整備路線に指定されている[6]。
歴史
太平洋戦争(大東亜戦争)を挟む戦前戦後にかけて、通り沿いに根津美術館(1941年開設)、小原流会館(1975年竣工)、諸々の骨董品店などが集まるようになった。「骨董通り」の愛称はこれに因んでおり、1980年代頃から自然発生的に使われるようになった、もしくは古美術鑑定家・中島誠之助が使い出したものが広まったものだといわれることもある。
