青年報道写真研究会

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青年報道写真研究会(せいねんほうどうしゃしんけんきゅうかい)とは、戦前の日本で結成された写真家の団体。

1938年7月に、土門拳藤本四八濱谷浩田村茂林忠彦杉山吉良光墨弘加藤恭平 (写真家)梅本忠男、湯川共夫、望月文吾、山村一平、箕輪修、佐藤重雄、若松富士彦(若松不二夫?)、古賀乾一、柴田隆二、仁木正一郎、奈良原弘、伊藤幸男、沼野譲、吉田榮、泉玲次郎、牧田仁、越壽雄、山川益男、南庸之助、相澤敬一、白木俊二郎(白木俊次郎?)、松島進、田中義夫、田村榮により設立された(フォトタイムス1938年9月25ページ(青年報道写真研究会規約)より)。創立メンバーではない他のメンバーとしては、宮内重蔵、皆川健次郎、三宅定雄、溝口宗博、佐藤孝一、吉田儀十郎、松井富士夫らがいる。

新進の報道写真系統の写真家が集まることにより、当時すでに地位を確立して有力な同系統の写真家であった、木村伊兵衛堀野正雄名取洋之助渡辺義雄らに対抗するという意味合いがあった。

1939年4月30日から10月31日まで開催されたニューヨーク万国博覧会(前期)の国際館カヴァードスペース日本部に展示された写真壁画4つのうちの1つ「躍進日本」は、青年報道写真研究会の土門拳、若松不二夫、山川益男、溝口宗博、杉山吉良の撮影によるものである(出品者は国際文化振興会、構成は山脇巖、印画引伸はジーチーサン商会)(「写真壁画の時代 パリ万国博とニューヨーク万国博国際館日本部を中心に」・川畑直道(国書刊行会、「帝国」と美術、五十殿利治編・所収)・472ページおよび491ページ)

1939年7月には、報道写真展を開催、23人143点が出品されたという。

1940年9月に日本報道写真家協会となり(幹事長・梅本、常任幹事・土門拳・仁木正二郎ら13人)、さらに1941年12月には、日本報道写真協会(会長・松井春生、理事長・渡辺義雄)となり、国策に取り込まれることとなった。

本研究会についてのまとまった文献は存在せず、メンバーを含め、その活動の全貌はよくわかっていない。

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