1877年に兵庫県姫路で誕生、横浜の捜真女学校(現・捜真女学校中学部・高等学部)を卒業した[1]。
1895年(明治28年)にタムソン夫人が神戸の葺合地区に、神戸の恵まれない子供たちのために、善隣幼稚園を設立した後[1][3]、同幼稚園に勤めて[4]、タムソンの片腕となり、その後の約40年間にわたって、保母として仕事を助けた[1]。「善隣」名は「善い隣人として地域社会の改善を図る」との意味で、まつが発案した名前である[5]。
善隣幼稚園が午前と午後の2部保育に分かれた後、午後の部で子供たちの無料保育を担当した[1][3]。日曜学校、少年少女のクラブ、夜学校などで教え、スラム地域の人々の福祉と教育に幅広い奉仕活動を行った[1]。タムソンが沖縄那覇に設立した姉妹園である善隣幼稚園でも、保育の指導を行った[1]。
私生活では結婚して4人の子供に恵まれたものの、早くに夫に先立たれ、子供たちを1人で育てながら幼稚園での保育に尽力した[2]。1936年(昭和11年)3月に退職[4]、1959年1月、82歳で死去した[3]。