青木作雄

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青木作雄

青木 作雄(あおき さくお[1][2]1898年明治31年〉2月3日[3] - 1985年昭和60年〉8月6日[4][5])は、日本政治家衆議院議員[6]山口県会議員[7][8]下関市会議員[6][7][9])、家主[6][10]、山口県多額納税者[6][10][11]会社役員。山陽ビルディング取締役[6]

山口県下関市出身[7][9]。青木平七の長男[6][10]1920年、東京高等商業学校(現一橋大学)卒業[1][12]広島高等工業学校に学んだ[7]

古河合名調査課、百十銀行貸付係等歴勤[8]1923年家督を相続した[6][10]1927年、家業を継いだ[8]。貸家業を営んだ[7][9]陸軍三等主計に任ぜられた[7]

下関市会議員、同参事会員、山口県会議員、同参事会員等となる[1]1937年、衆議院議員に選ばれ[6][10]、1期務めた[5]。興亜議員同盟[1][5]東方会[7]に所属した。

戦後、公職追放となり[13]、追放解除後は1956年から自民党山口県連顧問[2]を務めた[5]。1985年8月6日、脳血栓のため死去[2]

人物

安倍寛の盟友だった[14]

宗教は仏教[8]。趣味はスポーツ、読書[8]。住所は山口県下関市長崎町[6][10]

家族・親族

脚注

参考文献

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