青木作雄
From Wikipedia, the free encyclopedia
山口県下関市出身[7][9]。青木平七の長男[6][10]。1920年、東京高等商業学校(現一橋大学)卒業[1][12]。広島高等工業学校に学んだ[7]。
古河合名調査課、百十銀行貸付係等歴勤[8]。1923年、家督を相続した[6][10]。1927年、家業を継いだ[8]。貸家業を営んだ[7][9]。陸軍三等主計に任ぜられた[7]。
下関市会議員、同参事会員、山口県会議員、同参事会員等となる[1]。1937年、衆議院議員に選ばれ[6][10]、1期務めた[5]。興亜議員同盟[1][5]、東方会[7]に所属した。
戦後、公職追放となり[13]、追放解除後は1956年から自民党山口県連顧問[2]を務めた[5]。1985年8月6日、脳血栓のため死去[2]。
