青木賢一郎
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長野県下高井郡延徳村(現・中野市)生まれ[5]。青木彦兵衛の長男[1][3]。小県蚕業学校[5]、足利工業学校を卒業[1]。県農工技手に就任[5]。
1年志願兵として歩兵第15連隊に入り累進、中尉に任官[1]。日露戦争に従軍して、勲六等、功五級金鵄勲章を賜う[1]。凱旋後下高井郡農商学校教諭となった[5]。中野農学校養蚕教師として奉職し、1923年に退職[1]。
下高井郡書記、郡農会技師、農林技師、県農会技師、須坂支所長等を歴任[1]。1906年以来県養蚕連合会に関係し、県養蚕連合会評議員、全国養蚕連合会評議員である[1]。1927年[3]、長野県会議員に当選した[4]。民政党に所属[4]。1940年5月25日、死去[2]。