青柳豊
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日本陸軍のエース・パイロット。青栁惣吉(村会議員)の次男として福岡県三池郡高田村(現みやま市高田町)に生まれる。
少年飛行兵として1935年(昭和10年)11月に所沢陸軍飛行学校を卒業し、明野で戦技教育を受け、飛行第11連隊に配属された。
1939年(昭和14年)5月からノモンハン事件に参加。7月25日、不時着した篠原弘道准尉を救出しようと着陸したが、敵戦車の砲撃を受けて機体が炎上、腰に貫通銃創を受けるが、岩瀬孝一曹長に救出された。そしてハルピン陸軍病院に入院したが、停戦前に部隊に復帰。
1940年(昭和15年)末、陸軍航空士官学校(第21期少尉候補者学生[1])に入学し、1941年(昭和16年)7月に卒業、飛行第11戦隊に復帰し、12月から南方戦線で任務に就いた。
1942年(昭和17年)4月、教導飛行第204戦隊に転属。6月23日、戦技訓練中に誤射を受けて殉職した。総撃墜数28機。
親族
- 父 青栁惣吉(村会議員)
- 兄 青栁進(町会議員)