静岡大学工業短期大学部 From Wikipedia, the free encyclopedia 大学設置/創立 1953年廃止 1997年学校種別 国立本部所在地 静岡県浜松市城北3-5-1[注釈 1]静岡大学工業短期大学部大学設置/創立 1953年廃止 1997年学校種別 国立本部所在地 静岡県浜松市城北3-5-1[注釈 1]学部 機械工学科第二部電気工学科第二部工業化学科第二部電子工学科第二部情報工学科第二部テンプレートを表示 静岡大学工業短期大学部(しずおかだいがくこうぎょうたんきだいがくぶ、英語: Junior College of Engineering, Shizuoka University)は、静岡県浜松市城北3-5-1[注釈 1]に本部を置いていた日本の国立大学である。1953年に設置され、1997年に廃止された。大学の略称は静大工短。 大学全体 静岡県浜松市[注 1]に所在した日本の国立短期大学で[注 2]、併設元は静岡大学工学部。 学科数2、入学総定員N名体制で1953年8月に開学。順次学科増設により5学科体制となる。 1994年度の入学生を最後に[注釈 2]、1997年に短期大学としての使命を終える[5]。 教育および研究 静岡大学工業短期大学部は、技術教育に重点をおいた教育がなされていた。 学風および特色 静岡大学工業短期大学部は勤労の傍らで学業に勤しむ人々に技術教育を行うことのねらいから夜間部が設置されていた[6]。 沿革 1953年 8月1日 静岡大学工業短期大学部が以下の学科体制にて開学する[注 4]。 機械科第二部 入学定員40名 電気科第二部 入学定員40名 1954年 学生数[9]/定員 機械科第二部 男86/80 電気科第二部 男77/80 1959年 4月1日 工業化学科第二部[注釈 3]が増設される[注 5]。 5月1日 学生数[12]/定員 機械科 男117/120 電気科 114[注 6]/120 工業化学科 男30/40 1966年 4月1日 電子工学科第二部[注釈 3]が増設される[13]。 同 機械工学科第二部の入学定員を40→80に増員[13]。 5月1日 学生数[14]/定員 機械科 男161/200 電気科 119[注釈 4]/120 工業化学科 男102/120 電子工学科第二部 男33/40 1973年 4月1日 情報工学科第二部[注釈 3]が増設される[15]。 5月1日 学生数[16]/定員 機械科 男218/249 電気工学科 130[注 7]/120 工業化学科 87[注釈 4]/120 電子工学科第二部 105[注 8]/120 情報工学科第二部 39[注釈 4]/40 1994年 4月1日 最後の学生募集となる[注釈 2]。 5月1日 学生数[17]/定員 機械工学科 男222/240 電気工学科 66[注釈 4]/120 工業化学科 80[注 9]/120 電子工学科 109[注釈 5]/120 情報工学科 134[注 10]/120 1995年 5月1日 学生数[18]/定員 機械工学科 男143/160 電気工学科 46[注釈 4]/80 工業化学科 50[注釈 6]/80 電子工学科 73[注釈 5]/80 情報工学科 84[注釈 6]/80 1996年 5月1日 学生数[19]/定員 機械工学科 男64/80 電気工学科 23[注釈 4]/40 工業化学科 28[注 11]/40 電子工学科 29[注釈 4]/40 情報工学科 39[注釈 5]/40 1997年 3月31日 廃止される[5]。 基礎データ 所在地 静岡県浜松市城北3-5-1[注釈 1] 象徴 静岡大学工業短期大学部のカレッジマークは静岡大学と同じものが使用されており、富士山の絵が描かれていた。 教育および研究 組織 学科 機械工学科第二部 入学定員80名 電気工学科第二部 入学定員40名 工業化学科第二部 入学定員40名 電子工学科第二部 入学定員40名 情報工学科第二部 入学定員40名 専攻科 なし 別科 なし 取得資格について 電気工学科学生を対象に、第二種電気主任技術者資格を取得するための基礎科目が開講されていた[注 12][20]。 1957年より中学校教諭二級免許状(職業)が認可される[注 13] 大学関係者と組織 大学関係者一覧 大学関係者 歴代学長 大杉繁 渡辺寧 加藤一夫 施設 キャンパス 静岡大学工学部とキャンパスを共同使用していた。 対外関係 系列校 静岡大学法経短期大学部 卒業後の進路について 就職について 学生の大半は勤労学生だったため、就職希望する学生はあまり多くなかったようである。(体感的には半数程度だったはず) 編入学・進学実績 静岡大学工学部への編入学制度があった[20]。 関連項目 静岡大学 関連サイト 静岡大学#沿革 注釈 注釈グループ 1 2 3 現在は中央区城北3-5-1 1 2 平成7年度より学生募集停止[3][4][注 3]。 1 2 3 入学定員40名 1 2 3 4 5 6 7 うち女1 1 2 3 うち女4 1 2 うち女9 補足 ↑ 現在は中央区。 ↑ 出典[1][2] ↑ 静岡大学工学部夜間主コースへ転換のため。 ↑ 出典[7][8] ↑ 出典[10][11] ↑ うち女2 ↑ うち女2 ↑ うち女3 ↑ うち女14 ↑ うち女13 ↑ うち女6 ↑ 卒業後、一定の実務経験を経る必要があった。 ↑ 出典[21][22]。 出典 ↑ 県政概要 昭和40年版より。 ↑ 現行法令輯覧 3巻 行政組織2-1より。 ↑ 文教協会'1995. ↑ 週刊教育資料 = Educational public opinion (403)(533);1994・8・8/15より。 1 2 文教協会'1997. ↑ 働きながら大学を出るには (受験新書)より。 ↑ 大学総覧 昭和40年度より。 ↑ 短期大学一覧 昭和28年度 (短期大学資料)より。 ↑ 文部省'54, p. 1369. ↑ 短期大学一覧 昭和34年度 (短期大学資料 ; 第23号)より。 ↑ 大学資料 (14)より。 ↑ 全国学校総覧 昭和35年版より。 1 2 短期大学一覧 昭和41年度 (短期大学資料)より。 ↑ 全国学校総覧 昭和42年版より。 ↑ 大学資料 (47)より。 ↑ 全国学校総覧 昭和49年版より。 ↑ 文部省'94, p. 50. ↑ 文部省'95, p. 52. ↑ 文部省'96, p. 54. 1 2 旺文社'1992.9, p. 119. ↑ 現行法令輯覧 26-2巻 学事2より。 ↑ 現行法規総覧 第9編 教育・文化1より。 参考文献 全国学校総覧 文部省調査局統計課『全国学校総覧 昭和30年版』青葉書房。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I028943005。 文部省『全国学校総覧 1995年版』原書房。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009410063622。 文部省『全国学校総覧 1996年版』原書房。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009510054506。 文部省『全国学校総覧 1997年版』原書房。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I19111009610053307。 全国短期大学高等専門学校一覧 文部省『全国短期大学・高等専門学校一覧 平成6年度』文教協会。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I2612110500540。 文部省『全国短期大学高等専門学校一覧 平成7年度』文教協会。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I2612110500541。 文部省『全国短期大学・高等専門学校一覧 平成9年度』文教協会。https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000001-I2612110572656。 蛍雪時代 『全国短大&専修・各種学校受験年鑑'93年(短大蛍雪 1992年9月臨時増刊号)』旺文社。https://web.oml.city.osaka.lg.jp/webopac_i_ja/0000272973。 この項目は、短期大学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:教育/PJ大学)。表示編集 Related Articles