静御前堂
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位置
北緯37度23分08.3秒 東経140度20分10.5秒 / 北緯37.385639度 東経140.336250度座標: 北緯37度23分08.3秒 東経140度20分10.5秒 / 北緯37.385639度 東経140.336250度
本尊
静御前
| 静御前堂 | |
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| 所在地 | 福島県郡山市静町37 |
| 位置 | 北緯37度23分08.3秒 東経140度20分10.5秒 / 北緯37.385639度 東経140.336250度座標: 北緯37度23分08.3秒 東経140度20分10.5秒 / 北緯37.385639度 東経140.336250度 |
| 本尊 | 静御前 |
静御前堂(しずかごぜんどう)は、福島県郡山市静町(大槻町地区)にある、静御前を祀る仏堂。2kmほど離れた場所に建つ磐石山長泉寺が管理している[1]。床下にある石造塔婆が郡山市指定重要有形文化財に、また、建物裏にある針生古墳が郡山市指定史跡に指定されている[2]。
静御前堂と同様に静御前の最期についての伝説が伝えられる地は全国各地にあるが、従者の小六の碑が残っている場所は他に例がなく珍しいものである[3]。
12世紀末、源頼朝に都を追われた源義経は平泉へ落ち延びた。愛妾の静御前は従者の小六と乳母のさいはらを共としてこれを追い、陸奥国の花輪(現在の大槻町花輪)という地にたどり着いた。義経はさらに遠い北の平泉にいると聞き、この地を治める花輪長者の世話でこの地にとどまり、平泉へ向かう準備をしていたが、やがて、義経が討たれたという知らせを聞き、美女池に身を投げてしまう。これをあわれに思った花輪長者が1189年(文治5年)に石碑を立てて弔ったのが始まりと伝えられる。
乳母のさいはらが針仕事を教えていた地は「針生」、静御前が化粧を直した場所は「化粧坂」、小六が死んだ場所は「小六峠」、静御前が身を投げる前にかつぎを捨てた沼は「かつぎ沼」と呼ばれるようになったという[4]。
それから約400年後の戦国時代、この地を治めていた大槻城主の伊東左衛門高行は、村内の塚から夜な夜なあやしい光が放たれ、村人が恐れているという話を耳にしてその塚を調べ、出てきた石碑からこの地が静御前を祀った場所であることを知る。そこで高行は、静御前を祀るお堂をこの地に建てた。これを1783年(天明3年)に再建されたものが現在の静御前堂である。