静田錦波
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群馬県[2]佐波郡宮郷村[1](現・伊勢崎市)出身。大正時代に石井春波の弟子となり、弁士の技術を学ぶ。
デビュー後は、浅草の電気館や帝国館といった松竹系の直営館に出演。帝国館では現代劇の主席弁士を勤めている。主に松竹蒲田撮影所の作品を解説し、美声と名調子で観客(特に女性)を魅了した。
映画がトーキーの時代を迎えた1935年(昭和10年)には、弁士・楽士の全員解雇を通知する松竹側に対し、争議委員長として交渉するも決裂[3]。3月19日から28日にかけてストライキを指揮した[注釈 1]。その後は、主に歌謡曲のナレーションを務めた。
1946年(昭和21年)に郡司信夫が日本拳闘株式会社(のち日本スポーツ株式会社)を設立するとこれに協力して取締役に就任した[5]。