鞆ノ平武右衛門
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鞆ノ平の名は出身地・鞆町に因む。土地相撲で活躍し1870年、元公卿の上田楽齋の紹介で梅ヶ谷を頼って入門。大坂相撲で取っていたが梅ヶ谷の東上に伴い東京に加入。当初、梅の森と名乗ったが、出身地から鞆ノ平と改め1871年4月、二段目付け出しで初登場。大阪上がりで出世は遅く、新入幕は1881年5月。西前頭筆頭だった翌1882年1月、大関・若島と引き分けたほかは勝ち、8勝1分の優勝相当成績を挙げ翌1883年1月、関脇に昇進した。上背は無かったが、なかなかの相撲巧者で1885年1月には当時の実力者・大達を破った。無邪気で愛嬌があり贔屓にする者が多かったという。現役中から酒屋と備後畳の店を経営。幕内27場所をつとめ1893年5月引退後は年寄大嶽を襲名、しかし大嶽の寡婦との関係が悪化し1年あまりで廃業。福井県敦賀で鯛網漁を営んだが失敗して郷里に戻った。その後上京して相撲界への復帰運動を行ったが失敗に終わり再び郷里に戻り漁業に従事した。