韋彪 (北朝)

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韋彪(い ひょう、502年 - 560年[1])は、北魏末から北周にかけての官僚軍人は道亮[2]本貫京兆郡杜陵県[3][4]

豫雍二州刺史・陰盤県開国男[2]韋彧と柳敬怜のあいだの長男として生まれた[5]。本州主簿を初任とした[2]孝荘帝の末年に藍田郡太守となった[6][7]。父の陰盤県開国男の爵位を嗣いだ。征南将軍・銀青光禄大夫・東南道行台右丞となり、太傅長史を兼ねた。孝武帝の西遷に従い、頻陽県開国侯の爵位を受けた。西魏に仕えて征戦に従い、車騎将軍廷尉卿に任じられた[2]。のちに車騎大将軍・儀同三司の位を受けた。北周の武成2年(560年)、家で死去した。享年は59[8]

妻子

  • 柳遺蘭(征虜将軍・正平郡太守・安陽伯の柳粲の娘)[9]

女子

  • 韋輝親(魏景昌にとついだ)[9]

脚注

伝記資料

参考文献

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