韓演 後漢の官僚・政治家 From Wikipedia, the free encyclopedia 韓 演(かん えん、生没年不詳)は、後漢の官僚・政治家。字は伯南。本貫は潁川郡舞陽県。韓縯とも書かれる[1]。 経歴 韓棱の孫にあたる。順帝のとき、丹陽太守となり、政事に有能で知られた。後に太常に転じた。155年(永寿元年)6月[2]、司空となった。157年(永寿3年)11月[2]、司徒に転じた。159年(延熹2年)8月、大将軍の梁冀が自殺すると、韓演は梁冀の党与として罪に問われ、死罪のところを減刑されて、潁川郡に帰された。後に再び召し出されて司隷校尉に任じられた。 165年(延熹8年)、韓演は左悺とその兄の左称を弾劾した。さらには具瑗の兄の具恭による不正な蓄財を奏上した[3]。 脚注 [1]『後漢書』韓演伝は「韓演」とするが、桓帝紀ほか「韓縯」の表記が見られる。 [2]『後漢書』桓帝紀 [3]『後漢書』宦者伝 伝記資料 『後漢書』巻45 列伝第35 Related Articles