順 (王朝)
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建国までの経緯
衰退
当初、北京以外に太原・大同等の主要地域を占拠している。しかし山海関の明将である呉三桂への対応を行わないために、建国宣言[要出典]直後に清が入関、その後は勢力が急速に衰えていく。4月21日には李自成は呉三桂に対する親征を試みるが失敗、その直後の4月29日に慌しく武英殿で皇帝の即位式を終えると、自ら紫禁城に火を放ち李自成は西安へと逃れた。その後潼関で清軍を迎え撃つが、このとき清軍の主戦力である大砲が到着していなかったために勝敗がつかなかった。しかし翌1645年、清軍は紅夷大砲を以って潼関を破ると、李自成は襄陽を経て湖北に逃亡、4月には武昌へと入るが、その後清軍の攻撃を受け江西へ逃れ、5月にはその地も追われて湖北通山県の南の九宮山にて農民の自警団により殺害された。その後も一族の李自敬と李過が相次いで順皇帝に即位し、清に徹底抗戦したが、1649年に順は完全に滅亡した。