類聚符宣抄
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由来
壬生家編纂説
編者・成立年代について、平安時代末期の保安2年(1121年)、3年に書写された最古の写本(現宮内庁書陵部所蔵)が、壬生官務家に永く秘蔵されていたことから、小槻氏によって編纂され、本書収録の最も新しい年次の文書が寛治7年正月19日の宣旨であるため、寛治7年から保安2年までの間に成立したと従来考えられてきた。
源経頼編纂説
しかし、本書の特徴・内容から、平安時代後期の実務官僚であった源経頼(宇多源氏)が、公務遂行のために編んだとする新説が清水潔によって提示された[4]。この説の場合、本書の編纂は長暦3年(1039年)に経頼が歿したため、未完成のまま中断したとしている。とすると、前記の如く、本書収録の最新年次の文書は寛治7年の宣旨であるため、長暦3年説を採用すると矛盾が生じるが、長暦3年から寛治7年の間の文書は、全て女院号についての文書16通であり、それらは、本書の最古の写本が成立した保安2年までに増補されたと考えられている[4]。
刊本
群書類従
左大史壬生季連が伝本を書写した元禄本8冊を底本として、文政3年(1820年)ころに、和学講談所の塙保己一によって、版木により刊行された。10巻の構成である。次の機関に所蔵されている。
国立国会図書館、国文学研究資料館(茨城大学所蔵)、国立公文書館、東海国立大学機構学術デジタルアーカイブ、静嘉堂文庫、宮内庁書陵部 、三重県立図書館など。
旧輯国史大系本
『国史大系 第12巻』に令義解・類聚三代格・続左丞抄とともに、類聚符宣抄として所収されて、明治33年(1900年)に経済雑誌社から出版された。塙保己一校本を原とし三代実録、公卿補任、弁官補任等を参考にして校訂を加えたものである[6]。
宮内庁図書寮編本
『類聚符宣抄』として、昭和5年(1930年)に、宮内庁図書寮から編年目録を付して発行された。保安年間の最古写本を底本としている。
新訂増補国史大系本
『新訂増補国史大系』(吉川弘文館)第27巻に収録されて、昭和8年(1933年)に発行されている。厳密な校訂が施されており、定本と呼ぶにふさわしい[7]。