飛鳥部常則
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天暦8年(954年)に村上天皇自筆の金字法華経の表紙絵を描いた[2]。康保元年(964年)には京都御所清涼殿内部の一室に[4]、鬼を斬る白沢王の像を描き、故に以後その間が「鬼の間」と呼ばれるようになったという[5]。
白沢王(名目は「はくた王」、仮名は「はかた王」)は、李将軍のことであるとも[5]、古代インドの波羅奈国の王で、鬼を捕らえた剛勇の武将ともされる[5][6]。
なお現在、京都御所清涼殿の鬼の間は宮内庁が管理し[4]、非公開の部屋であるが、白沢王の絵は描かれていないと家相を研究する小池康寿の著書に[4]記載がある。
天禄3年(972年)には、賀茂祭の禊で使用する牛・馬・犬・鶏の彫物の下絵を描き、完成した彫物に彩色した[2]。その他、長和2年(1013年)3月30日に藤原道長が冷泉院で所蔵されていた常則筆の神泉苑の風景画を鑑賞し、優美であると称賛した記録がある(『小右記』)[2]。
『古今著聞集』には、常則が描いた獅子の絵を見た犬が吠えたという逸話が載っており、世上では「常則をば大上手、(巨勢)公望をば小上手」と評されたという[3][7]。また、大和絵の名手として『栄花物語』や『源氏物語』にもその名が登場する[2][3]。