飯村繁

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飯村 繁(いいむら しげる、1919年大正8年〉9月[1] - 1993年平成5年〉1月6日)は、日本の元軍人外交官陸士53期卒(山砲)。最終階級は陸軍少佐。戦後は在ポーランド・在フィンランド大使館附書記官、内閣調査室調査官、官房会計課予算経理官を歴任した。父は陸軍中将で総力戦研究所所長の飯村穣、岳父は同じく陸軍中将で参謀次長の沢田茂。子は元駐仏大使の飯村豊

東京府出身[注釈 1]。飯村穣・光子の長男。当時は軍縮の時代で家は電気代やガス代も払えないほど困窮しており、姉妹三人は茨城県の父の実家に預けられていた[3]

麻布中学[4]より東京幼年学校に転じ、陸軍士官学校53期卒業。山砲兵第11連隊留守隊、独立山砲兵第12連隊を経て、山砲兵第55連隊に転じ、大隊指揮班長として仏印進駐を経てビルマ侵攻作戦に参加[5][6]。大隊長は市議会議員より召集された47歳の老少佐(陸士27期)で、軍縮時代の不遇を度々聞かされたという[5]。泰緬国境の山岳地帯にて斥候任務を担い、戦闘機による低空偵察飛行にも同乗した[6]。ビルマに入ったのちはコーカンモールメントングーマンダレーを転戦。ラングーンの兵站病院に入院中、同期の奥山道郎と再会しサンゴのカフスボタンを送った。のちに奥山が義烈空挺隊隊長として沖縄突入直前、カフスボタンを着けて突入するとの別れの手紙を受け取っている[7]

1943年(昭和18年)6月、内地に転じ、山砲兵第55連隊補充隊。同年末より陸軍士官学校教官に転じ、区隊長(58期生担当)を経て教授部附で終戦を迎える。

戦後は外務省に入省。官房勤務、国際資料作成委員会を経て[8]在ポーランド大使館にて二等書記官、在フィンランド大使館にて一等書記官として赴任。在勤中も旧軍将校としての矜持を崩さず、現地では「マイオール(少佐)・飯村」と呼ばれるなど礼遇をもって接されたが[9][10]、過労から胃潰瘍を患い、1973年春に帰国して都内の自宅で療養[11]

回復後は外務省情報文化局、在外公館警備室専門官、内閣調査室調査官を経て、1984年、官房会計課予算経理官で退職。

1992年(平成4年)10月1日新宿駅で倒れ、東京医科大学病院に搬送された。摘出手術を経て一時小康状態となったが、11月8日より昏睡状態となり、翌年1月6日14時10分、急性心肺不全のため死亡した[12]

年譜

  • 1934年(昭和9年)4月:東京幼年学校入学(39期、第2訓育班第3学班(仏語)[13]
  • 1937年(昭和12年)
    • 3月16日:陸軍士官学校予科入学
    • 8月2日:予科士官学校に転じる(2期)
  • 1938年(昭和13年)
    • 5月31日:予科士官学校卒業、上等兵、山砲兵第11連隊留守隊隊附
    • 9月1日:陸軍士官学校入学、第18中隊第3区隊(区隊長:福田信夫)
  • 1940年(昭和15年)
    • 2月27日:陸軍士官学校卒業
    • 時期不明:独立山砲兵第12連隊[12]
    • 5月:少尉
    • 8月:山砲兵第55連隊附[14]
  • 1941年11月:仏印進駐に参加
  • 1943年(昭和18年)
    • 6月:山砲兵第55連隊補充隊[14]
    • 12月:陸軍士官学校生徒隊、大尉
  • 1944年(昭和19年)
    • 5月1日:陸軍士官学校生徒隊第8中隊第2区隊長(中隊長:後藤寿文少佐、58期生担当)[15]
    • 9月15日:陸軍士官学校第3中隊第2区隊長(中隊長:桜井文雄少佐、同)[16]
  • 1945年6月:少佐、教授部附[14]
  • 1963年5月:ワルシャワ大使館二等書記官[17](~1967年4月[10]
  • 1971年2月下旬:フィンランド大使館一等書記官[18]
  • 1974年10月1日:内閣調査室調査官[19]
  • 外務省研修所指導官(~1981年10月1日)
  • 1981年10月1日:官房会計課予算経理官[20]
  • 1984年10月:退職[21]

著書・寄稿

  • 「東欧における最近の軍事政策」『大陸問題』第8巻、35-43頁、1959年6月。NDLJP:1404983/19 
  • 「東南アジアにおける共産主義運動の現況視察報告」『月刊共産圏問題』第6巻、85-89頁、1962年4月。NDLJP:2274873/45 
  • 「ラオスの日の丸」『外交時報』第4-5巻、第997号、21頁、1962年4月。NDLJP:10230694/13 
  • 「現在に活きるサーリネンの家」『スペースデザイン』第133巻、93-94頁、1975年9月。NDLJP:2309463/105 
  • 長谷川慶太郎・近代戦史研究会 編「三・軍人の貧窮化と怨恨 四・軍縮が及ぼした影響」『国家戦略の分裂と錯誤 中 軍縮時代~支那事変』、日本近代と戦争第3巻、64-84頁、1986年2月。NDLJP:12284268/36 
  • 長谷川慶太郎・近代戦史研究会 編「明治体制国家後半期の指導者層」『日本的組織原理の功罪』、日本近代と戦争第5巻、137-158頁、1986年7月。NDLJP:2645252/112 

親族

注釈

脚注

参考文献

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