昭和26年3月、東北大学宮城師範学校卒業。仙台市内の公立学校の教員を14年間勤めた後、東北大学教育学部の研究生[1]、民間企業勤務、幼稚園長などを経て独立した研究生活に入る。
教員時代から歴史の研究を続け[2]、津波以外にも古代東北の製鉄、牡蠣殻を使った肥料の開発(特許第4105184号フルボ酸鉄を含む)など、その研究範囲は多岐にわたる[3]。東日本大震災を16年も前から警告してきたことで、注目を集める[4][5][6]。
3・11の際には、自らの学説を実証すべく、以前より仙台湾の海岸線に住まいを構え、自説通り被災した。幸いに、津波の習性を明確に把握していたので、身体的には影響はなかったが、しばらく被災者住宅住まいを余儀なくされた。