京都帝国大学工学部電気工学科を卒業[1]。
1949年、摂南工業大学(同年、大阪工業大学に改称)工学部電気工学科教授となり、電気工学教室を担当した[2]。指導する電気科学研究部が製作したテレビ受像機が文部大臣賞(1953年)を受賞した[3]。その後も20年わたって教鞭を執り、大学初期の電気工学・電気通信工学(特に無線工学)の研究・育成を手がけた。
1959年4月に大阪工業大学電子工学科客員教授にも就任した。
その後、1973年1月に、京都大学大学院工学研究科より、木村磐根の指導の下、論文「円柱誘電体付加空中線の理論的研究」で工学博士号を取得する[4]。
1983年3月に大阪工業大学退職、名誉教授となる[5]。