館城
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構造
館城の戦い
箱館戦争が始まると、旧幕府軍の松前城攻撃に先立ち、松前藩主一族は11月3日館城に移動。11月5日の松前城陥落後も松前藩は降伏せず、館城・江差を拠点に態勢を立て直す姿勢を見せたため、11月10日、松岡四郎次郎が率いる一聯隊200名が館城攻略のため、五稜郭を出発。11月13日に途中の稲倉石(現・厚沢部町)を抜き、11月15日、館城攻略戦が行われた[4]。 藩主一族は11月12日に江差に避難しており館城守備隊は60名程度だけであった。午前9時頃攻撃が開始され、1時間ほど激しい銃撃戦が続いた後、表門の下の隙間から侵入した旧幕府兵が門を開け、兵が乱入し白兵戦となった。まな板を盾にしつつ太刀で戦い壮絶な戦死を遂げた松前の法華寺の元僧侶である軍事方・三上超順の奮戦もあったが、昼頃には落城・焼失し、松前兵は敗走した[4]。
なお、館城には松前城から運んだ什器・宝物類があったが、旧幕府軍は後日、人に託して松前藩へ返却している[4]。
館藩
箱館戦争終結後、松前藩は館城にちなんで、館藩を名乗った[5]。

