香西源蔵 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 戦国時代生誕 永正8年(1511年)死没 大永7年(1527年)2月13日幕府 室町幕府 凡例香西源蔵時代 戦国時代生誕 永正8年(1511年)死没 大永7年(1527年)2月13日幕府 室町幕府主君 細川高国→細川晴元氏族 岩崎氏あるいは柳本氏→香西氏父母 先代:香西元盛兄弟 柳本賢治?、源蔵子 後継者:小童テンプレートを表示 香西 源蔵(こうざい げんぞう)は、戦国時代の武将[1]。 源蔵は大永7年(1527年)2月13日時点で「柳本(賢治)弟十七才」とされるが、源蔵の生年(永正8年、1511年)と賢治の父である波多野清秀の没年に時間差があるため清秀の実子ではない。馬部隆弘は柳本賢治が一時名跡を継いだ岩崎氏か柳本氏の出身であるとしている[1]。 概要 大永6年(1526年)に香西元盛が細川高国によって殺害されると、その跡を継いで柳本賢治とともに細川晴元に帰順した。帰順後は賢治と連署して禁制を発給している[1]。 大永7年(1527年)2月には柳本賢治・三好長家・三好政長とともに山崎へと進駐した。同月13日には桂川原の戦いに出陣したものの討死している。享年は17才で、名跡は「小童」が継いだ[1]。 脚注 [脚注の使い方] 注釈 出典 1 2 3 4 馬部隆弘「細川高国の近習と内衆の再編」『戦国期細川権力の研究』(吉川弘文館、2018年) 関連項目 畿内・近国の戦国時代 Related Articles