馬ノ山4号墳

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別名 馬ノ山古墳群(橋津古墳群)
所属 旧橋津1号墳(史跡指定時)
位置 北緯35度30分15.12秒 東経133度52分43.35秒 / 北緯35.5042000度 東経133.8787083度 / 35.5042000; 133.8787083座標: 北緯35度30分15.12秒 東経133度52分43.35秒 / 北緯35.5042000度 東経133.8787083度 / 35.5042000; 133.8787083
馬ノ山4号墳 / 橋津4号墳
別名 馬ノ山古墳群(橋津古墳群)
所属 旧橋津1号墳(史跡指定時)
所在地 鳥取県東伯郡湯梨浜町上橋津
位置 北緯35度30分15.12秒 東経133度52分43.35秒 / 北緯35.5042000度 東経133.8787083度 / 35.5042000; 133.8787083座標: 北緯35度30分15.12秒 東経133度52分43.35秒 / 北緯35.5042000度 東経133.8787083度 / 35.5042000; 133.8787083
形状 前方後円墳
規模 墳丘長88m(推定復元100m)
高さ10m(後円部)
埋葬施設 竪穴式石室1基(内部に木棺)
箱式石棺4基
埴輪棺4基
出土品 銅鏡・玉類・車輪石・石釧・武器・農工具・埴輪
築造時期 古墳時代前期後半
史跡 国の史跡「橋津古墳群」のうち
地図
馬ノ山4号墳の位置(鳥取県内)
馬ノ山4号墳
馬ノ山
4号墳
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4号墳
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2号墳
古墳の位置

馬ノ山4号墳(うまのやまよんごうふん)または橋津4号墳(はしづよんごうふん)[1]は、鳥取県東伯郡湯梨浜町上橋津にある古墳。形状は前方後円墳。馬ノ山古墳群(橋津古墳群、国の史跡)を構成する古墳の1つ。

鳥取県中部、東郷池北側の馬ノ山丘陵の山頂から西に延びる支脈尾根上に築造された大型前方後円墳である。馬ノ山丘陵上に分布する馬ノ山古墳群(橋津古墳群)では最大規模の古墳である。1956年昭和31年)に盗掘されて古墳として発見され、それを契機とした調査が実施されている。

墳形は前方後円形で、前方部を西南西方向に向ける。墳丘外表では葺石が施されていたとみられ、円筒埴輪列も巡らされたとみられるが、詳細は明らかでない[2]。埋葬施設は、後円部中央における竪穴式石室(竪穴式石槨)1基・箱式石棺1基のほか、箱式石棺3基・埴輪転用棺4基の計9基。そのうち竪穴式石室からは銅鏡5面・玉類・車輪石・石釧・鉄剣・鉇・鉄斧などが、箱式石棺の1つからは銅鏡1面・玉類・鉄刀が、埴輪転用棺の1つからは銅鏡1面が出土している。

築造時期は、古墳時代前期後半頃と推定される。かつては山陰地方で最古かつ最大級の前方後円墳として標識的存在に位置づけられたが、現在は見直しが進み、東郷池周辺の首長墳としては馬ノ山2号墳・宮内狐塚古墳に後続し、北山古墳に先行する時期に位置づけられる[3]。いずれにしても山陰地方を代表する古墳の1つであり、古い段階で副葬品が出土したことで学史的にも重要な位置づけにある古墳になる。

遺跡歴

  • 江戸時代末、橋津台場の建設に際して前方部前端を削平して盛土に利用したと伝承[4]
  • 1956年昭和31年)、後円部竪穴式石室・箱式石棺の盗掘、副葬品出土。その後発掘調査(佐々木謙ら、1962年に報告)。
    出土品の大半は回収され、大半は東京国立博物館で、一部は鳥取県立博物館・湯梨浜町羽合歴史民俗資料館などで保管。
  • 1957年(昭和32年)6月3日、国の史跡「橋津古墳群」の指定[5]
  • 2020年令和2年)刊行の『新鳥取県史』で墳丘測量図の掲載[4]

墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]

  • 墳丘長:88メートル(推定復元100メートル程度[4]
  • 後円部
    • 直径:58メートル
    • 高さ:10メートル
  • 前方部
    • 幅:35メートル
    • 高さ:6メートル

墳丘の前方部前端は、幕末の橋津台場の建設に際して削平されたといい、墳丘規模は縮小している。現在の墳丘は4段築成の見かけであるが、これらは基本的に果樹園化による改変とされる[4]。ただし円筒埴輪が確認されていることから、円筒埴輪列を伴う段築成が存在した可能性は高いとされる[4]

墳丘規格はメスリ山古墳奈良県桜井市)の相似形とする説もあるが、現状の平坦面や墳端位置は合致せず、墳丘調査による検討が必要とされる[4]

埋葬施設

埋葬施設一覧
位置番号内容副葬品
後円部中央第1竪穴式石室銅鏡5、車輪石、石釧、鉄剣、鉇、鉄斧
第2箱式石棺神獣鏡1、勾玉2、管玉5、鉄刀1
前方部平坦面第3特製埴輪棺
第4箱式石棺
第5箱式石棺
第6箱式石棺
第7円筒埴輪転用棺
第8円筒埴輪転用棺
後円部東裾第9円筒埴輪転用棺内行花文鏡1

埋葬施設としては、後円部墳頂において竪穴式石室(竪穴式石槨、第1主体部)・箱式石棺(第2主体部)が構築されている。また、後円部東裾部で円筒埴輪転用棺(第9主体部)が、前方部の平坦面南側で東から特製埴輪棺(第3主体部)・円筒埴輪転用棺(第8主体部)・箱式石棺(第4主体部)が、北側で東から箱式石棺(第6主体部)・箱式石棺(第5主体部)・円筒埴輪転用棺(第7主体部)が確認されている。

竪穴式石室

竪穴式石室(第1主体部)は、後円部中央において構築されており、墳丘主軸と平行する東北東-西南西方向を石室主軸とする。狭長の石室で、内法の長さ8.5メートル、幅0.9メートル(東側)・0.6メートル(西側)、高さ0.9メートル(東側)・0.7メートル(西側)を測る[4]

石室の石材は割石。15段程度の小口積みで、側壁・小口壁とも持ち送らず垂直に積んで構築される。床面には直径1センチメートル程度の円礫を厚さ10センチメートル程度敷くが、粘土床は確認されていない(刀の下面の粘土付着から、側壁下部に粘土を貼ったとみられる)。天井石は10枚(うち2枚は盗掘時に外される)[4]

石室内には木棺が残存しており、残存片は長さ2.0メートル・幅0.5メートル・厚さ0.3メートルを測る重厚なものである[4]。また、石室内からは副葬品として銅鏡5面・玉類・車輪石・石釧・鉄剣・鉇・鉄斧などが出土している。

箱式石棺・埴輪棺

後円部の箱式石棺(第2主体部)は、後円部上の竪穴式石室北側において、竪穴式石室と同じく墳丘主軸と平行方向に構築されている。安山岩板石を組み合わせて構築した石棺で、東西両端に割石を積む。石棺規模として長さ3.15メートル・東側幅0.45メートル・西側幅0.35メートル・深さ0.33メートルを測る。石棺内は3室に区切られており、中央室は長さ1.97メートルを測り、東端に板石を枕として据える。副葬品として、石棺内から銅鏡1面・玉類が、石棺外から鉄刀1が出土している[2]

埴輪棺のうち、後円部東裾の第3主体部は、長さ1.61メートル・口径0.29-0.33メートルの円筒棺を使用し、両端に板石を立てて閉塞する。副葬品として内行花文鏡が出土している[2]

出土品

鏡群
東京国立博物館展示。
装身具
東京国立博物館展示。

埋葬施設から出土した副葬品は次の通り[4]

竪穴式石室(第1主体部)出土
  • 銅鏡
    • 三角縁神獣鏡(三角縁波文帯三神二獣博山炉鏡) 1
    • 方格規矩鏡 1
    • 仿製内行花文鏡 1
    • 仿製画文帯神獣鏡 1
    • 仿製盤龍鏡 1
  • 装身具
    • 勾玉 1
    • 管玉 17
    • 車輪石 3
    • 石釧 12
  • 武器
    • 鉄刀 1以上
    • 鉄剣 2以上
  • 農工具
    • 刀子 5
    • 鉇 1
    • 鉄斧 1
箱式石棺(第2主体部)出土
  • 仿製環状乳神獣鏡(変形四神四獣鏡) 1
  • 勾玉 2
  • 管玉 5
  • 鉄刀 1
円筒棺(第9主体部)出土
  • 内行花文鏡 1

関連施設

  • 東京国立博物館(東京都台東区) - 馬ノ山4号墳の出土品の大半を保管。
  • 鳥取県立博物館(鳥取市東町) - 馬ノ山4号墳の出土品の一部を保管。
  • 湯梨浜町羽合歴史民俗資料館(湯梨浜町久留) - 馬ノ山4号墳の出土品の一部を展示。
  • 同志社大学歴史資料館(京都府京田辺市) - 馬ノ山4号墳の出土線刻人物円筒埴輪片を保管。

脚注

参考文献

関連文献

外部リンク

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