馬希広
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生涯
天福12年(947年)、文昭王馬希範の薨去により即位し、まもなく後漢より天策上将軍・楚王に封じられた。武穆王馬殷の遺命では兄弟順の相続であったにもかかわらず、最年長の三十兄の馬希萼でなく馬希広が即位したことを、兄の馬希崇が遺命違反として馬希萼の擁立を企てる。
乾祐2年(949年)、武平軍節度使であった馬希萼が叛乱を起こし、楚の都城の潭州を攻めるが失敗、馬希広は兄弟を害することを避けるために追撃を行わなかった。南方に逃れた馬希萼は乾祐3年(950年)、蛮族の協力を得、さらに南唐に臣下と称して協力を仰ぎ、再度馬希広を攻撃する。馬希広は討伐軍を発するが敗れ、潭州は馬希萼により陥落させられ、馬希広は捕らえられた。程なくして馬希萼より自殺を命じられた。