他の人の意見や忠告には耳を貸さないことをいう。聞き流しているという様である。馬の耳に春風が吹き抜けても、馬は何も感じないというように[1]。かぐわしい春風が馬の耳を吹きぬけようとも、馬には何の感動も無いということから。少しも反省をしないような場合のことも馬耳東風という[2]。
この言葉は唐の時代の詩人である李白の作品である「答王十二寒夜独有懐」から来ている。そこでは、世の中の人々というのは、詩や賦を聞いても良さを理解することができずに、頭を振るのみで聞き入れるということはない。それは馬というのは耳をなでて吹く春風には何も感じないようなものであるとしていた。このことから馬耳東風といわれるようになった。これは初期は世間一般の人々のことを批判するという言葉であった[3]。