馬込為助
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幕臣浦島亨の子として生まれ、縁戚の江戸名主馬込惟長の養子となった[1]。
明治3年(1870年)閏10月大学に入学し[1]、12月3日(1871年1月23日)駐米代理公使として赴任する森有礼、大学南校中助教矢田部良吉に同行し[2]、同校生徒神田乃武とともにアメリカ合衆国へ自費留学した[3]。当初華頂宮博経親王等が学ぶブルックリン工科大学(現・ニューヨーク大学タンドン工科学校)に入学したが、6月の学年終了後は在籍していない[4][5]。1871年9月8日、ニューヨーク市で撮影した写真に「藤原惟親」と自署している[1]。
1873年(明治6年)2月公使館附書記外山正一・名和道一が依願退職したため、代わって同職に採用された[6]。10月に森が大使を辞任した際、書面で伝えられない要件を報告するため帰国した[6]。
帰国後は文部省に出仕し、1874年(明治7年)金星の太陽面通過観測のためアメリカからジョージ・ダビッドソンが来日した際には同行者に選ばれ、10月1日から翌年1月15日まで長崎に出張した[7]。1875年(明治8年)2月4日文部省を退職した[8]。
1879年(明治12年)には兵庫県外務御用掛として神戸市にあり、5月東京の養父母に預けていた長男為一に馬込家の家督を継がせ、自身は廃嫡を受けた[9]。その後浦島姓に復し、大阪府御用掛[10][11]、巣鴨監獄職員[12]を務めている。