駿河国分寺
静岡県静岡市葵区長谷町にある真言宗醍醐派の寺院
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概要
駿河国分寺跡
創建時の国分寺は、静岡市駿河区大谷にある駿河国分寺跡(国の史跡、旧片山廃寺跡、北緯34度57分51.23秒 東経138度25分35.84秒)に比定される。かつては「片山廃寺跡」と称され、塔跡が未発見であったため、国分寺説を否定して有度郡の地方豪族の私寺と見る説が挙げられていたが、平成21年(2009年)の調査で塔跡と推定される版築が見つかり、国分寺の可能性を高めた[3]。
一方、後述の菩提樹院境内には国分寺の遺構とする説のある塔心礎が伝わっており、「伝駿河国分寺の塔心礎」として静岡市指定文化財に指定されている[4]。その銘文から、明和8年(1771年)に駿府城代武田信村から駿府城三の丸城代屋敷内の社の手水鉢として奉納されたものとされる[4]。元々はいずれの寺院で使用されたのか明らかでないが、舎利穴の大きさは甲斐や伊豆の国分寺とほぼ同じになる[4]。この心礎は、昭和5年(1930年)に日本赤十字社静岡支部の庭(現・静岡県総合福祉会館の位置)において発見され、昭和28年(1953年)に国分尼寺後裔と伝える菩提樹院に寄進された[4]。
- 伝駿河国分寺の塔心礎(市指定文化財)
菩提樹院境内。
駿河国分尼寺
伝駿河国分尼寺後継寺院。
国分尼寺についても、創建時の位置は明らかでない。太田道灌作といわれる『慕景集』の嘉吉元年(1441年)記事に「国府尼寺菩樹院」と見えることから、後継寺院は静岡市葵区沓谷の正覚山菩提樹院(北緯34度59分37.89秒 東経138度24分48.94秒)であるといわれるが、根拠に乏しく確証はない[2]。菩提樹院寺伝では、武田氏の駿河侵攻において兵火を受けたため、天正年間(1573年-1592年)頃に駿府城西方に再興されたという[5]。その位置は常磐公園付近にあたるが、昭和15年(1940年)の大火で焼失したことにより、さらに現在地に移転した[5]。この菩提樹院境内には、前述のように国分寺のものと伝える心礎が残っている。