兵庫県平民・中山治三郎の弟[2]。1883年6月、先代高井つねの入夫となり、家督を相続した[2]。初め県立師範学校を卒業し教鞭を執ったが、のち染木綿染手拭製造を創めた[2]。経営は思うようにならなかったので方法を改め新たに海外より諸機械を購入し、原料を精選し製品が精良になるように努めた結果声価が高まった[2]。
年産額32万円に達し直接国税954余円を納める盛況を見た[2]。1916年、株式組織に変更し社長となった[7]。又諸種の公共事業に尽瘁し、市会議員、市参事会員等に選ばれた[2]。住所は兵庫県姫路市大黒町[2]。