高坂好
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兵庫県飾磨郡荒川村(現在の姫路市)に生まれる。1930年、姫路高等学校文科甲類に入学[3]し、1933年に卒業した[4]。同年、東京帝国大学文学国史学科に入学した[5]。同期入学に磯貝正義、井上清、奥田真啓、新城常三らがいる。卒業論文「中世に於ける地方寺院−特に寺領荘園の場合」[6]をまとめ、1936年に卒業[7]。兵庫県立龍野高等女学校教諭[8]を経て、鹿児島県立第二鹿児島中学校に教諭として勤める。その傍ら、1939年9月から1941年9月まで鹿児島県史編纂のため臨時委員を委嘱された[9]。同年11月から兵庫県立第一神戸商業学校教諭[10]となるも病気のため1942年7月に退職した。快復すると、妻の兄が経営する鳳商店に入社し、取締役となる[2][11][12]。1960年には新宮町史編纂委員を委嘱され、『播磨新宮町史』の編さんに携わる[13]。1967年には兵庫史学会理事となる。特に赤松氏の研究に注力し、1970年には日本歴史学会編纂の人物叢書の『赤松円心・満祐』をまとめた。
参考文献
脚注
- ↑ “高坂, 好, 1911-”. 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス(Web NDL Authorities). 国立国会図書館. 2025年5月9日閲覧。
- 1 2 3 義則敏彦 & 寿松博 1991
- ↑ 『官報』第981号、昭和5年4月10日、p.262. NDLJP:2957448/8
- ↑ 『姫路高等学校一覧 第10年度 自昭和8年至昭和9年』姫路高等学校、1933年7月25日、169頁。NDLJP:1448947/92。
- ↑ 『官報』第1931号、昭和8年6月10日、p.321.NDLJP:2958403/35
- ↑ 帝国大学新聞社 編『帝国大学年鑑 昭和11年度版』帝国大学新聞社、1936年、306頁。
- ↑ 『東京帝国大学一覧 昭和11年度』東京帝国大学、1936年7月15日、530頁。NDLJP:1453465/275。
- ↑ 中等教科書協会 編『高等女学校女子実業学校職員録 昭和13年5月現在』中等教科書協会、1938年9月20日、138頁。NDLJP:1462071/97。
- ↑ 鹿児島県 編「附録 鹿児島県史編纂沿革概要」『鹿児島県史』 別、鹿児島県、1943年3月30日、10-12頁。NDLJP:1239983/160。
- ↑ 『兵庫県学事関係職員録 昭和17年度』兵庫県教育会、1942年10月1日、78頁。NDLJP:1276553/51。
- ↑ 神戸新聞社 1961
- ↑ 人事興信所1964
- ↑ 寺脇弘光 1983
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