高塔山ジャム
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| 高塔山ジャム Takatouyama Jam | |
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| イベントの種類 | ロック・フェスティバル |
| 通称・略称 | T-Jam |
| 開催時期 | 7月〜9月 |
| 初回開催 | 2004年 |
| 会場 | 高塔山野外音楽堂(北九州市若松区) |
| 主催 | 高塔山ジャム実行委員会 |
| 共催 | 北九州ミュージック プロムナード |
高塔山ジャム(たかとうやまジャム、T-Jam)は、2004年から2015年まで福岡県北九州市若松区高塔山野外音楽堂で開催されたロック・フェスティバルである。
2004年、北九州・若松出身のシーナ&ロケッツのボーカル・シーナのひと言「高塔山でロックがしたい」から始まった[1]。
地元の北九州で、その当時crossfmで番組『Dobbのロック塾』を制作をしていたHIDE(倉掛英彰 ミーナ&ザ・グライダー、ex.NEW DOBB)とその兄Dobb(倉掛信彰 ex.NEW DOBB)へとかかったシーナからの電話をきっかけに、地元音楽関係者が集結。2004年7月10日と11日、シーナ&ロケッツをホストに元ルースターズのメンバーを中心とした『高塔山ジャム』がスタート。
第一回目の立ち上げ当初、倉掛英彰は17年間プロミュージシャンとして居住した東京からラジオ番組制作のために有限会社グライダーオフィス代表として帰郷した直後であり、兄倉掛信彰も塾講師からDJ活動をスタートさせたばかりであったことから、北九州市戸畑区で音楽スタジオ(スタジオ アビーロード)を営み地元音楽シーンに明るかった大平啓人(ドラマー)と共に、3人体制で望むことでスタートをきった。会場は高塔山野外音楽堂。翌年第2回目より、大平がドラマー活動を理由での実行委員辞退に伴い、実行委員長・倉掛英彰での開催。より『めんたいロック』色の強いフェスとなった。
呼びかけ人だったシーナが2015年2月に死去し、同年9月の追悼開催をもって終了したが、復活を望むファンからの要望を受け、2017年9月に「高塔山ロックフェス」として再開することになった[1][2]。
2004年7月10日は地元バンド、7月11日は東京からシーナ&ロケッツ、上々颱風「西村直樹」フューチャリングバンド、BARAKA、hi*limits等をゲストに迎え開催するにあたり、北九州市の中でも交通の便が乏しい古びた高塔山という会場での実施という事に、不安を感じていた倉掛英彰氏がフェス名『高塔山ジャム』、ロゴマークを考案。さらに無料での開催を提案し実行された。その内容は以下の通り。
『企業城下町としての意識を強く持つ北九州市民は、福利厚生で音楽を愉しむ習慣が古くからあり、人を集めるならば無料しかない。経費はスポンサー企業から集めて、全国から注目されるフェスにしよう。回を重ねることで育ち、観客が求めるフェスとなった時に有料化を考えよう。それが実現できたら北九州市民の文化意識が変わるよ。そのためにも継続して行く事が大切』
そして高塔山での実体験をもとに、フェスのブランディングのため以下の物語を綴り『聖地 高塔山』を誕生させた。
高塔山伝説 その昔、ギターを持つと不良だといわれた時代…。練習スタジオなど皆無で、ライブハウスも存在しない時代。ふもとの民家に一升瓶ひとつで機材の保管をお願いして、セミの鳴く暑い夏の日も、小雪舞う凍えるような冬の日も、毎日毎日リハーサルを繰り返す高校生のバンドがいた。その名は「バラ族」。彼らはここでオレ達「NEW DOBB」と出会い、日本の重鎮シーナ&鮎川 誠氏とも出会った。やがて彼らも成長を遂げ、日本のカリスマ「The Roosters」となった。
2008年8月17日の第5回目に、有料化(前売り2,000円/当日2,500円(小学生以下無料))にて開催
2009年8月、JR小倉駅前に『T-Jam cafe & beer』というフェス名でのライブバーを(有)グライダーオフィス(代表 倉掛英彰)として開店
2010年8月14日、15日の第7回開催をあとに実行委員長が倉掛英彰から島田幸司へ
2013年9月22日の第10回目開催をあとに実行委員長が島田幸司から石田勝也へ
※実行委員会組織は形成されていたが、資金運営は全て実行委員長個人の会社で支えられていた。
2015年9月20日、21日の第12回開催を最後にフェス終了
最終的には前売 5,000円/当日 5,500円 (+1ドリンクオーダー)/2日間通し券 9,000円での開催としたが、小学生以下は初回から無料のままだった。