高島小金治

From Wikipedia, the free encyclopedia

高島小金治

高島 小金治(たかしま こきんじ、文久元年4月8日[1]1861年5月17日〉 - 1922年大正11年〉3月28日[2][1])は、明治期の実業家。日清豆粕製造(現・日清オイリオグループ)初代社長。大倉喜八郎の女婿で、終始その片腕となり、大倉組副頭取を務めた。

上野国前橋(現・群馬県前橋市)に士族・高島有八の長男として生まれる[2]。19歳の1879年(明治12年)に慶應義塾を卒業[2]。同塾の講師を3年務めたあと、政治活動に転じる[2][1]1885年(明治18年)渡米し[2][1]、3年後に帰国して大倉喜八郎の軍需品輸入会社「内外用達会社」に入り取締役となる[1]

内外用達会社を解散し、合名会社大倉組の創立に参加し、副頭取に就任。大倉組では海外貿易を担当し、支那方面への兵器弾薬の輸出、インドの茶畑、南アメリカに向かって木材輸出を担当。満州にて日清豆粕製造社長となり、1887年(明治20年)に日本製靴日本皮革を設立し、大倉商業学校理事となる。その後、韓国善隣商業学校評議員(韓国・現善隣インターネット高等学校)などを歴任。

永田町の自邸で亡くなる[2][1]。享年62。没年、従六位に叙された[2][1]

親族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI