高木八尺
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英学者・神田乃武の子として東京に生まれる。外戚の佐賀藩士の高木家の養子となる。第一高等学校を経て、1915年(大正4年)、東京帝国大学法科大学政治学科卒業[2]。新渡戸稲造、内村鑑三の影響を受ける。1918年(大正7年)、母校でアロンゾ・バートン・ヘボンの寄付で設置された米国憲法・歴史及び外交講座(通称「ヘボン講座」)の初代担当者となる。 1926年(大正15年)4月、太平洋問題調査会の日本支部が発足すると理事に就任[3]。 1933年(昭和8年)、「米国政治史序説」で東京帝国大学より法学博士の学位を取得[4]。1938年(昭和13年)、教授に就任。定年となる1950年(昭和25年)まで米国政治史などを教えた。
木戸幸一と学習院で同級であり、日米開戦前には、戦争回避のため近衛文麿とフランクリン・ルーズベルトの会談の実現に努め、ジョセフ・グルー駐日大使に自制を求める手紙を出したりした。1946年9月18日には貴族院議員に勅選され[5]、同成会に所属し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。戦後の駐日大使エドウィン・ライシャワーとも親しく、アメリカ学会を創設し、国際文化会館を設立した。1948年(昭和23年)日本学士院会員。 1962年(昭和37年)1月8日、皇居で行われる講書始の儀に参加。「民主主義の原理について」と題した進講を行った[6]。 1965年(昭和40年)、アメリカ歴史学会名誉会員。同年、賜銀杯一組(第三号)。1967年(昭和42年)、文化功労者。1984年(昭和59年)、叙従三位、叙勲一等授瑞宝章。多くのアメリカ研究者を育成した。