高杉城
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構造
馬洗川と美波羅川の合流する河岸段丘上にあり、東西70メートル・南北80メートルの方形居館型の城郭であった。落城後に廃城となり、神社の神域として保護されたため、城の北側東側の周囲には堀が残り、郭内部には土塁が残っている。南側の部分にも虎口を意識した作りの郭内部に土塁が残存し、こちらが大手だったと推測される。
現在、西側には道路が通っているが、この部分にも堀が存在したことが、2012年(平成24年)の調査で確認されている[1][2]。
建築物の詳細については不明だが、当時から知波夜比古神社の社殿が存在していたと推測される。
当時の城域は不明であるが、現在の境内を本丸部とし、周囲の丘陵まで城域であったという説もある。戦後まもなく撮られた1947年(昭和22年)の空撮写真では周囲にまで城域があった痕跡は見られない。
- 南大手口跡(知波夜比古神社境内入り口)
- 土塁(北側、左に知波夜比古神社本殿)
- 堀・土塁(東側)
安芸武田氏支流祝氏・高杉氏
文化財
広島県指定文化財
- 史跡
- 高杉城跡 - 1984年(昭和59年)11月19日指定、2015年(平成27年)1月13日に史跡範囲の追加指定[3]。


