高校大パニック
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概要
あらすじ
キャスト
- 城野安弘:山本茂
- 村上美穂子:浅野温子
- 小林勝市:内田稔
- 米重満州男:江角英明
- 伊原修:久富惟晴
- 県警特捜課長・栗田信:青木義朗
- 山内正勝:上田耕一
- 渋谷彰:椎谷建治
- 県警特捜主任・小島:石山雄大
- 広瀬圭介:高橋明
- 前川俊:沢田情児
- 池永:奥村公延
- 馬場:桑崎晃男
- 竹井:内田憲一
- 清末:門間一浩
- 田中祥二:杉崎和彦
- 丸山:梅地徳彦
- ランニングをしている男:吉原正皓
- ライフル隊班長:遠藤征慈
- 刑事:奥村公延、片岡五郎
- 警官:小池雄介、山西道広
- 右翼街宣車の男:飯島洋一、土方鉄人
- 教諭:浜口竜哉、佐藤了一、五條博
- 路地のおばちゃん:北川湛子
- 狙撃隊員:木島一郎、倉地雄平
- 県警本部長:谷口永伍
- 銃砲店の客:島村謙次
- 銃砲店店主:玉井謙介
- 城野安太郎:梅津栄(生徒・城野の父)
- 城野弘子:赤座美代子(生徒・城野の母)
- 徳田宗明:稲垣昭三
- 村上友代:宮下順子(女子生徒・村上美穂子の母)
- 徳田真美:遠藤薫
- 吉池民子:寺尾理恵
- 女生徒B:斉藤夕美、足立登美子
- 緒方国雄:河原崎長一郎
- 野次馬:泉谷しげる(※特別出演)
- その他:小早川晶子、斉藤建夫、近藤哲也、内藤進、金井昌幸、上田正雄、中沢逸人、小島洋子、織田俊彦、森洋二、梶原茂、中村知行、小高義人、清末裕之
スタッフ
製作
石井聰亙が高校時代に映写機・カメラとも急に普及し[6]、高額だった8ミリ機材も比較的手に入りやすい状況となった[6]。それでもいざ映画を作れば制作費は数十万円かかるため、高校時代は映画を撮ることはなかったが、日芸入学後に同時録音カメラやエルモ社のグランドモデルという劇場でも明るく大画面で16ミリと遜色なく上映できる映写機なども出たため、8ミリで『高校大パニック』を撮った[6]。ちょうど長谷川和彦監督が、20代で『青春の殺人者』を撮り上げたことで、当時の映画ジャーナリズムが新しい時代の到来などと騒ぎ[6]、『GORO』が長谷川に大学生が作った映画を見せ、『高校大パニック』を観た長谷川と石井の対談が組まれ[6]、長谷川は石井の相談に乗った[6]。1982年に共に「ディレクターズ・カンパニー」を設立したのはこうした経緯による[6]。日比野幸子[8]は「東映が柳町光男監督の『ゴッド・スピード・ユー! BLACK EMPEROR』を安く買い叩いて儲けたのを見た日活が、柳の下の泥鰌的発想で『高校大パニック』を日活で作らせたんだと思う」と述べている[6]。17分の8ミリ版が各地で自主上映され、反響が大きくお客が入っていたことから日活が目を付けた[4][5]。通常ローテはロマンポルノの日活がゴールデンウィークや盆正月に公開する一般映画のため[4]、制作は1978年のかなり早い段階で決定していたという[4][5]。8ミリ映画の劇場用35ミリのリメイクは初めてのケースとされた[6]。石井のギャラは、企画・脚本料・スタッフ込みで日活としては破格の200万円[6]。長谷川の日活時代の脚本料は一本15万円[6]。日活としては「窮すれば通ず」という諺を地でいくような企画で[9]、受験戦争で歪曲した青春を描く内容をアピールすべく[9]、従来製作発表会見は、映画会社の本社や銀座近辺のホテルやビルなどで行われることが多いが[9]、何と本郷の東大赤門前の喫茶店で発表会見が行われた[9]。
脚本
脚本の神波史男は「石井君の8ミリをプロデューサーの結城良煕が観て、これを本格的映画にしようということでした。それで石井君と盟友で8ミリのプロデューサーをやっていた秋田光彦君と、大屋龍二君と僕の4人で、千葉の日活の別荘に籠って毎晩酒を飲みながらホン作りをしました。小沼勝さんが『花と蛇』で使った庭園のあるような立派な建物で、夏だったから庭でバーベキューやったりしながら楽しかった。その段階では石井君は納得していた。ところが撮影に行ったら、澤田さんたちスタッフはベテラン揃いで、何もすることがなかったそうです。石井君は20歳出たくらいで、まだ少年って感じでしたね。いきなり擦れっ枯らしのスタッフばかりの現場に放り込まれたんだから。そもそもの8ミリは、石井君自身の実体験を基にしてるらしいけど、通っていた受験校の物凄く気に入らない数学教師に対する怨念が作らせたものだったらしい。でも8ミリは短編だから、1本の娯楽映画にするには、徹底的に膨らませなければいけなかった。最後は女子高生を人質にして屋上の倉庫に立て籠るんだけど、その女子高生が浅野温子で、なかなか良かったですね。オシツコがきっかけで二人が心を通じ合わせるとか、ディテールは工夫しましたね」などと述べている[10]。
フォース助監督の金子修介は、17分を1時間半に伸ばしたため、間延びして全くワクワク感のない面白くないホンと感じ、サードの助監督の那須博之に「これで日活は勝負しようというの、ムリでしょ」と那須に進言した[4]。那須は「ガンアクションをリアルにやらなければ面白くない」と言った[4]。
撮影
1978年6月30日クランクイン[4]。チーフ助監督に菅野隆。セカンドは不明で、サードの助監督に那須博之[4]。那須が金子修介をフォースに就けた[4][5]。フィフスが石井組の松井良彦[4][5]。カチンコは松井が叩いたが[5]、怒鳴られまくられていたという[4]。澤田組が多いため、沢田と石井の二人の監督がどういう命令系統になるのか分からない[4]。石井は日本大学芸術学部在学中の21歳[5]。見た目よりも若く見えるが、当時から既にテレビにも出演し、監督を目指す同世代の者たちからは嫉妬される存在[5]。澤田は石井をもう一人の監督として尊重し、二人三脚でやっていたが、撮影部のピントマン・杉本一海がしょっちゅう「石井どけ!」と怒鳴った[4]。また澤田が現場にいないときに、石井はいたため、金子がチーフ助監の菅野に「監督いるからカメラ回しましょうよ」と言ったら、菅野は「冗談だろ」とマジ切れされたという[4]。他にも石井に対するイジメがあったとされたが[4][5]、石井は最後まで愚痴ることはなく[4][5]、2年後に『狂い咲きサンダーロード』を観た金子は「これがやりたかったことだったんだな」と感心したという[4][5]。
日活撮影所に教室のセットが二つ建設された[4]。廊下にレールを敷き、教室が四つあるように見せている[4]。生徒役は児童劇団を中心に石井がオーディションで選んだ[4]。それぞれ35人づつ、計70人のエキストラの生徒が教室に入り、当時の照明機材は重く、また発光すると物凄く熱くなり、またこの年は記録的猛暑で、蒸し風呂状態になった[4]。冒頭の数学教師射殺シーンの撮影は1978年7月1日[4]。弾着専門のスタッフが来てキャストの体に装着したが、那須は興味津々だったという[4]。澤田が早撮りで撮影が早く終わることが多く、一応大作のため、予算が余り、毎日打ち上げでビールに焼肉三昧だったという[4]。
中洲高校設定の学校の表回りや校庭のシーンは、名門・東京学芸大学附属高等学校で撮影が行われた[4][5]。伝統校がよくぞ貸してくれたという設定だが、作品内容を学校に伝えていなかった説が強い[4][5]。撮影は1978年の夏休み期間、7月28日から30日まで3日間で行われた[4][5]。実際の教師は一人も登校しなかった[4]。パニックを起こし、校内を走って逃げる100人の生徒役は『ぴあ』でエキストラを募集[4]。この中に樋口尚文や三留まゆみらがいたという[4]。後半の銃撃戦で女生徒が誤って教室の窓からヘリコプターに助けを求め、誤って落下するシーンは、ヘリコプターを多摩川に呼んで、クランクアップの日に別撮りした[4][5]。生徒が落ちるカットは人形で、五反田の東洋現像所で撮影[4][5]。ラストに城野(山本茂)が村上美穂子(浅野温子)を人質に屋上の化学室に立て籠もるシーンで、フラスコが落ちて火災が発生するシーンは、実際に火災を発生させたため、激しい煙が発生して事故になりかかり、最後は全員で逃げた[4][5]。
長谷川和彦は石井との対談で「俺は大森一樹が『オレンジロード急行』を撮るときも石井が『高校大パニック』を撮るときも、二人にやめろと言ったんだ。赤子の首をひねるように、いいように撮影所にいてまわされる。そら、撮影所の見学はしたいだろうけども、見学したってあんまり実りはないから。8年も助監やってる俺が言うんだからな。しかしともかく見てきます、という感じで行ったわけだよ。石井は。大分メゲてたよな」 石井「全くそのとおりです」 長谷川「そのときの経験を石井はプラスにしたんだと思うよね。日活の撮影所で『お前どけ、そこで何やってんだ』とか言われて、僕も監督の一人です(笑)。それは辛いことだったろうと思う。それくらい石井も大森も撮影所にあこがれが強かったんですよ」 石井「確実にあったもの」 長谷川「逆に作品の中身の発想が、企業でも作れちゃうような、作りたくなるような映画だったわけだよな。だから『高校大パニック』は8ミリ版と35ミリ版が両方成立しちゃう」などと述べている[6]。本作は石井と澤田幸弘の共同監督だが[7]、石井は「実際にはまったく何もできませんでした」と話し、「触れてほしくない(?)過去」ともいわれる[7]。
20分過ぎに村上美穂子(浅野温子)が及川恒平の「冬の音」を、後半に「こわれました」を教室で静かに口ずさむ。終盤に浅野の17歳ながら堂に入った喫煙シーンと、驚きの胸露出シーンがある。フォース助監督の金子修介は「浅野さんは、それまでの人生で、生で見た女性の中で一番キレイだと思いました」と述べている[4]。1978年7月31日クランクアップ[4]。1978年8月10日完成[4]。撮影実数26日[4]。
ロケ地

- 九州大学(福岡市東区)正門前
- 東京学芸大学附属高等学校 - 中洲高校設定の学校の外回り、屋上、校庭等[4][5]
- 川端通り商店街(福岡市博多区)
- 博多銃砲店
- 櫛田神社・境内
- 西鉄福岡市内路面電車(貝塚駅)
- 中洲川沿い
- 中洲風俗街(中洲南新地)
作品の評価
興行成績
壮絶な大コケ[4][5]。同時期公開は東宝『ふりむけば愛』/『お嫁にゆきます』、『火の鳥 黎明編』、松竹『男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく』/『俺は田舎のプレスリー』、東映『トラック野郎・突撃一番星』/『多羅尾伴内 鬼面村の惨劇』、洋画系『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』[11]。外国映画は『サタデー・ナイト・フィーバー』『ラスト・ワルツ』『スウォーム』『ワイルド・ギース』『スパイダーマン』『溶解人間』など[11]。