高森文夫
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中原中也と親交が深かったことで知られる。旧制成城高等学校時代に後輩の吉田秀和と同居を始め、吉田のフランス語の家庭教師だった中也と知り合った。当時高森は21歳、中也は24歳だった。高森は同人誌「白痴群」などで発表されていた中也の詩をすでに読んでいたため、二人はすぐに仲良くなり、1932年5月には京都・奈良を二人で旅行。8月には山口県に帰省中だった中也を高森が訪問した後に二人で高森の実家の宮崎へと向かい、そのまま九州旅行をした[1]。中也の死後も積極的に回想などを綴り、研究にも協力した[2]。中也が藁の上で寝転んでいる有名な写真は、中也が宮崎を訪れた際に高森の手で撮影されたものである。
戦後はシベリア抑留を経て帰還し、地元の教育委員会に勤務。延岡市等の教育長を経て地元の東郷町長を1期だけ務め、小中学校への国語教育の取り組みなどに成果を挙げた。若山牧水記念文学館の第2展示室に資料などが展示されている。2019年には道の駅とうごうに詩碑が建立された[3]。