先代勝兵衛の長男として、出羽新庄藩領村山郡大槇村(山形県北村山郡大槇村、戸沢村を経て、現村山市大槇)に生まれる。代々酒造業を営む旧家であった。漢学を修めたのち、米沢中学に遊学する。1876年(明治9年)大槇小学校設立とともに補助教師となり、のち白鳥稲長小学校兼務となる。学務委員を経て、連合町村会議員に当選。1886年(明治19年)2月には28歳で山形県会議員に当選し、その後死去するまで12回当選した。
県参事会員を2期務め、県会議長となり、1927年(昭和2年)議長在任中に山形市長に迎えられた。1928年(昭和3年)藍綬褒章を受章した。1932年(昭和7年)10月31日、在任中に死去した。