高泰保
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- 1939年、大阪市で在日韓国・朝鮮人二世として生まれる。大阪府立大手前高等学校、京都府立大学、京都大学大学院農学研究科博士課程修了。育種学に関する多数の論文[1]発表。
- 1970年代初期には、在日農学博士として初めて第三国経由でブルガリアで開催された国際学会にも出席。当時新聞でも報道された。
- 日本各地はもちろん韓国、北朝鮮、中国、ロシア、ヨーロッパ、アメリカの研究現場および学会に勢力的に飛び回っていた。そんな中、世界のコリアン学者達との交流も深め学術をもって南北離散家族再会事業にも力を注いだ。
- 96年開催世界韓民族科学技術者綜合学術大会にも参加。当時の大韓民国大統領金泳三大統領とも国際学会で面識がある。
- 晩年は朝鮮半島を対象とする地域研究と同時に韓民族対象のコリア学研究[2]も深めた。
- 死の何年か前に以下の言葉を残している。学者としての自身の無力さ、分断された祖国と食料難にあえぐ北朝鮮同胞への憂いから出た言葉であると推測される。
「国民にとって最も重要なもの。それは政治である。最高の科学技術も素晴らしい英知も国民のための政治の下で初めて真の意味をなす。」
生い立ち
エピソード
- 当時父親不在の極貧の中、息子5人を育て上げ大学院にまで行かせた母親(宗時子)。
- 息子達は、口を揃えて「母の働く姿は見れども寝る姿を見たことがなかった」と言う。そんな、母(時子)の日常の素顔が小説「血と骨」に〜エキセントリックな石原のおばさん〜として書き留められている。