高津山芳信
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1935年に朝日山部屋に入門、同年5月場所で初土俵を踏む。順調に昇進して、1940年5月場所に新十両となったが、その後幕下との往復が続いた。しかしその間に実力をつけ、1943年5月場所、新入幕を果たした。腰の重さを生かした左四つからの寄りや小手投げ、下手投げを得意として、差し身が良さも光った。幕内中堅で活躍していたが、1947年11月場所、前の場所で東前頭5枚目で6勝4敗にもかかわらず、一気に関脇に抜擢された。その後も安定して上位で活躍したが、怪我にさいなまれて、最後は4場所連続して休場、1953年5月場所限りで土俵を去った[1]。上がってくる栃錦に強く、初顔から5連勝している。
赤銅色の肌、獅子のような厳つい風貌が特徴であった[1]。
引退後は年寄北陣から、師匠の死によって朝日山を継ぎ、小樽出身の高鐵山を十両に育て、これからというところで、急逝してしまった。44歳だった。