高津山芳信

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高津山 芳信(こうづさん よしのぶ、1919年2月22日 - 1963年5月28日)は、奈良県高市郡高取町出身で朝日山部屋に所属した大相撲力士。本名は喜多 芳信。最高位は西関脇。現役時代の体格は身長178cm、体重128kg。得意手は左四つ、寄り、小手投げ下手投げ。引退後は朝日山部屋を経営し、後進の指導に尽くした[1]

1935年に朝日山部屋に入門、同年5月場所で初土俵を踏む。順調に昇進して、1940年5月場所に新十両となったが、その後幕下との往復が続いた。しかしその間に実力をつけ、1943年5月場所、新入幕を果たした。腰の重さを生かした左四つからの寄りや小手投げ、下手投げを得意として、差し身が良さも光った。幕内中堅で活躍していたが、1947年11月場所、前の場所で東前頭5枚目で6勝4敗にもかかわらず、一気に関脇に抜擢された。その後も安定して上位で活躍したが、怪我にさいなまれて、最後は4場所連続して休場、1953年5月場所限りで土俵を去った[1]。上がってくる栃錦に強く、初顔から5連勝している。

赤銅色の肌、獅子のような厳つい風貌が特徴であった[1]

引退後は年寄北陣から、師匠の死によって朝日山を継ぎ、小樽出身の高鐵山を十両に育て、これからというところで、急逝してしまった。44歳だった。

主な成績

関連項目

脚注

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