高謐
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経歴
高湖の三男として生まれた。文武に才能があった。太安年間、功臣の子として禁中に召し出され、中散の位を受け、宮中の書庫をつかさどった。まじめに勤務して文成帝に重用され、秘書郎に任じられた。高謐は朝廷の事業として古典の残欠を補うよう上奏し、広く群書をたずねて補正した。献文帝が寧光宮に行くたびに、高謐はつねに皇帝の侍読をつとめて、蘭台御史に任じられた。まもなく治書に転じ、権威をおそれず内官・外官の非法を糾弾したため賞賛を受けた。472年(延興2年)9月、死去した。享年は45。532年(太昌元年)、使持節・侍中・都督青徐斉済兗五州諸軍事・驃騎大将軍・太尉公・青州刺史の位を追贈された。諡は武貞公といった。