高野宗順
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山城国京都で左近衛中将松木宗有の二男として生まれる[1][2][3][4]。安政4年4月(1857年4-5月)、従五位下に叙された[2]。慶応元年10月(1865年11-12月)侍従に任じられ、明治2年2月(1869年3-4月)従四位上に叙されたが、1879年(明治12年)4月、病のため松木家廃嫡となり位記返上を命ぜられた[2][3]。1880年(明治13年)5月、京都府雇・庶務課勤務となり、以後、京都府等外二等出仕、京都府九等属、宮内属、東華銀行取締役などを務めた[2][3][5]。先代の子爵高野保誠死後に養子となり、1890年(明治23年)9月16日、子爵を襲爵した[1][2][3][4][6]。
1896年(明治29年)10月9日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]、1911年(明治44年)7月9日まで3期在任した[5]。高野子爵家は負債が多かった上に、宗順は1909年(明治42年)から1911年2月まで、議員歳費を二重抵当に入れて質権認定がなされた歳費を担保に8人から1000円か2000円ずつだましとった詐欺財取事件で刑事被告人となったことで1912年(明治45年)2月16日、華族の礼遇が停止され、同年3月16日、東京地方裁判所から懲役1年6月の実刑判決、1912年(大正元年)秋に控訴棄却、同年12月16日、大審院は上告棄却、確定、華族令第21条該当となるため失爵[9][10][11][12][13][14][15]。これにより正四位返上を命じられ[16]、勲四等旭日小綬章を褫奪された[17][18]。