高階積善 From Wikipedia, the free encyclopedia 時代 平安時代中期生誕 不明死没 不明官位 従四位下・民部大輔 凡例高階積善時代 平安時代中期生誕 不明死没 不明官位 従四位下・民部大輔主君 一条天皇→三条天皇氏族 高階氏父母 父:高階成忠兄弟 助順、信順、明順、道順、積善、静昭、貴子、光子、大江為基室テンプレートを表示 高階 積善(たかしな の もりよし/せきぜん)は、平安時代中期の貴族・漢詩人。式部大輔・高階成忠の八男。官位は従四位下・民部大輔。 一家は漢学の家系で、父・成忠のほか、姉妹・貴子(高内侍)や、貴子所生の藤原伊周も文才を以て聞こえた。 紀伝道を学び、伊予掾・宮内少丞・弾正少弼・左少弁・民部大輔などの官を歴任し、三条朝の寛弘9年(1012年)正五位下に叙せられ、長和3年(1014年)従四位下に至る。中関白家の外戚であったことから、長徳2年(996年)の長徳の変による伊周・隆家兄弟の失脚後は官途に恵まれず、不遇のうちに没した。長和4年(1015年)の敦良親王読書始に名がみえないことから、この頃没したと思われる。 人物 式部卿宮・敦康親王の大叔父でもあり、親王邸で開かれた詩宴の作に「外家夙夜の遺老」と自称して、卑官でありながら外戚を気取っているのを世人が嘲笑したという[1]。 寛弘7年(1010年)頃に自身の作を含む当代のすぐれた漢詩を集めた『本朝麗藻』を編纂。一条朝の代表的な詩人の一人で、内裏(一条天皇)や左府(藤原道長)主催の作文会にしばしば招かれ、『本朝文粋』『類聚句題抄』などに併せて十数首の漢詩を残している。 官歴 注記のないものは『弁官補任』による。 時期不詳:伊予掾[2] 長徳3年(997年) 日付不詳:宮内丞[2] 時期不詳:従五位上。弾正少弼 寛弘8年(1011年) 2月1日:見左少弁 寛弘9年(1012年) 11月21日:正五位下(大嘗会策) 長和3年(1014年) 正月7日:従四位下(弁)、去弁 脚注 ↑ 『江談抄』 1 2 『除目大成抄』第8上 参考文献 大曽根章介、金原理、後藤昭雄『本朝文粋(新日本古典文学大系 27)』岩波書店、1991年 飯倉晴武校訂『弁官補任 第一』続群書類従完成会、1983年 宮崎康充編『国司補任 第四』続群書類従完成会、1990年 典拠管理データベース 全般 VIAF 国立図書館 日本 Related Articles