鬼の窟古墳 (壱岐市)
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| 鬼の窟古墳 | |
|---|---|
|
墳丘・石室開口部 | |
| 所属 | 壱岐古墳群 |
| 所在地 | 長崎県壱岐市芦辺町国分本村触1206-1(字磐屋森) |
| 位置 | 北緯33度48分4.57秒 東経129度42分45.42秒 / 北緯33.8012694度 東経129.7126167度座標: 北緯33度48分4.57秒 東経129度42分45.42秒 / 北緯33.8012694度 東経129.7126167度 |
| 形状 | 円墳 |
| 規模 |
直径45m 高さ13.5m |
| 埋葬施設 |
両袖式横穴式石室 (内部に組合式箱式石棺か) |
| 出土品 | 鉄鏃・須恵器・土師器・新羅土器 |
| 築造時期 | 6世紀後半-末 |
| 史跡 | 国の史跡「壱岐古墳群」に包含 |
| 地図 | |
鬼の窟古墳(おにのいわやこふん)は、壱岐市芦辺町国分本村触にある古墳。形状は円墳。壱岐古墳群(国の史跡)を構成する古墳の1つ。
| 古墳名 | 形状 | 規模 | 築造時期 |
|---|---|---|---|
| 対馬塚古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長63m | 6c後半 |
| 双六古墳 | 前方後円墳 | 墳丘長91m | 6c後半 |
| 笹塚古墳 | 円墳 | 直径66m | 6c後半-末 |
| 兵瀬古墳 | 円墳 | 直径54m | 6c後半-末 |
| 掛木古墳 | 円墳 | 直径18-22.5m | 6c後半-末 |
| 鬼の窟古墳 | 円墳 | 直径45m | 6c後半-末 |
壱岐島中央部のなだらかな尾根状丘陵上(標高約100メートル)に築造された古墳である。江戸時代後期にはすでに石室が開口し、1936年(昭和11年)・1970年(昭和45年)・1989年(平成元年)に石室実測調査が実施されているほか、1953年(昭和28年)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径45メートル・高さ約13.5メートルを測る[1]。埋葬施設は両袖式の横穴式石室で、南方向に開口する。玄室・中室(第1前室)・前室(第2前室)・羨道からなる3室構造で、石室全長16.5メートルを測る大型石室であり、石室の石材には玄武岩の巨石が使用される。石室内の調査では、副葬品として鉄鏃・須恵器・土師器・新羅土器などが検出されている。築造時期は、古墳時代後期の6世紀後半-末頃(IIIB-IVA型式期)と推定され、7世紀代を通じた追葬が想定される[2]。
遺跡歴
- 天保12年(1841年)完成の『甲子夜話』に墳形・石室の実測図の記載[3]。
- 文久元年(1861年)完成の『壱岐名勝図誌』に古墳のスケッチ・法量の記載[4]。
- 1936年(昭和11年)、石室実測調査(京都大学、未報告)。
- 1953年(昭和28年)、発掘調査(東亞考古学会、2018年に報告)[2]。
- 1961年(昭和36年)11月24日、長崎県指定史跡に指定。
- 1970年(昭和45年)、石室実測調査(九州大学、1980年の論考に石室実測図掲載)[2]。
- 1972年(昭和47年)、石室羨道の天井石の亀裂にあたり鉄柱・コンクリートによる補強。
- 1987年(昭和62年)8月、台風12号で羨道開口部右側壁が崩壊[2]。
- 1989年(平成元年)、石室修復および墳丘測量・石室清掃・石室実測調査(芦辺町教育委員会、1990年に報告書刊行)[4]。
- 2009年(平成21年)2月12日、国の史跡に指定(史跡「壱岐古墳群」のうち)。
埋葬施設


埋葬施設としては両袖式横穴式石室が構築されており、南方向に開口する。玄室・中室(第1前室)・前室(第2前室)・羨道からなる3室構造の石室である。石室の規模は次の通り[2]。
- 石室全長:16.5メートル
- 玄室:長さ3.2メートル、幅3メートル、高さ3.3メートル
- 中室(第1前室):長さ4.1メートル、幅2.4メートル、高さ1.75メートル
- 前室(第2前室):長さ4.1メートル、幅2メートル、高さ1.9メートル
- 羨道:長さ5.1メートル、幅1.8メートル、高さ1.8メートル
- 開口部:幅1.9メートル、高さ2.4メートル
石室の石材には玄武岩の自然石の巨石が使用される[5]。玄室の平面形は正方形に近い方形で、中室・前室の平面形は羽子板状の長方形である[1]。中室・前室・羨道はほぼ同じ高さである。石室の床面には前面に敷石を施す。前室の前面の閉塞石は1953年(昭和28年)に復元されている[2]。
玄室内には長さ2.55メートル・幅0.75メートル・厚さ0.13メートルの長方形の板石が遺存しており、組合式箱式石棺の部材とみられる[1]。現在は奥壁前面に不動像が安置される。
1953年(昭和28年)の石室内の調査では、須恵器・土師器・半島系土器(新羅土器)・鉄器類(鏃)が検出されている。そのほか、記録には「鉄製鏡板」・「鉄地鍍金の鍔金具らしきもの」が見えるが、現在は所在不明のため詳らかでない[2]。また1989年(平成元年)の調査では、須恵器・新羅土器が検出されている。
- 玄室(奥壁方向)
- 玄室(開口部方向)
- 中室(開口部方向)
- 中室(玄室方向)
- 前室(開口部方向)
- 前室(玄室方向)
- 羨道(開口部方向)
- 羨道(玄室方向)
- 開口部
関連施設
- 壱岐市立一支国博物館(壱岐市芦辺町深江鶴亀触)