鬼坊主清吉
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牛込生まれ。父は漁師をしていたらしいが家は貧しく、京橋の加治屋という商家へ奉公に出される。盗みで捕縛され、入墨を入れられ重敲の刑を受けたが、非人小屋に入って入墨を消し日雇いとなった。しかし、入墨を消した罪で再び捕縛され、再度入墨を入れられた上で江戸追放の刑を受けた。しかしそんなものは鬼坊主にとって何の意味もなく、数人の仲間と徒党を組み、路上強盗、引ったくり、武装強盗を連日にわたって繰り返し、懸命の捜査を行う町奉行や火付盗賊改方をあざ笑うかのごとく、江戸中を蹂躙した。
あまりの神出鬼没ぶりに、この種の犯罪としては異例の人相書(通常は人相書が出回る罪は当時最も重罪だった逆罪、すなわち主人や親を殺傷する罪である)が作成され、非常捜査体制である捕物出役まで発動された。そのため上方へ逃亡し、文化2年(1805年)4月に捕縛された。なお捕縛された場所については、京都の大仏堂前と伊勢の津との2説がある。
同年4月24日、江戸へ護送され、有名人である鬼坊主を一目見ようと群衆が押し寄せた。鬼坊主は北町奉行小田切直年の尋問に対して罪を認め、2ヵ月後の6月27日、市中引き回しの上、小塚原で仲間2名(無宿左官粂こと粂次郎24歳、無宿三吉こと入墨吉五郎28歳)と共に獄門にかけられた。享年30。