鳥居峠の戦い
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織田信長の援軍派遣
飯田城の攻防
鳥居峠の戦い
2月16日 武田方は諏訪郡司 今福昌和(筑前守)を大将とする部隊が奈良井より鳥居峠に向かい、織田方は木曽軍が峠付近に分散展開した。武田方が押す局面もあったが、最終的に峠攻略を果たすことはできなかった(甲乱記)。(なお、信玄公記には、武田方は足軽部隊が藪原から鳥居峠へ進軍し、織田方が、奈良井坂から鳥居峠に向かったとする記載があるが、地理的に真逆であり、誤記と指摘されている(平山優・武田氏滅亡)。)
討ち取られた武田方の将、跡部治部丞、有賀備後守、笠井某、首級の総数は40余り。
織田方の増援
木曽方面からの増援部隊は苗木久兵衛、織田長益、織田孫十郎、稲葉貞通、梶原景久、塚本小大膳、水野藤次郎、梁田彦四郎、丹羽氏次。
これらの軍勢は木曽義昌と共に鳥居峠を占領した。
深志城の情勢
馬場信春の息子である馬場美濃守が深志城に籠城し、鳥居峠に対峙して陣を構えた。[2]しかし、安曇群、筑摩群の小笠原旧臣が蜂起し窮地に陥った。