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鳥獣人物戯画

京都市右京区の高山寺に伝わる紙本墨画の絵巻物 From Wikipedia, the free encyclopedia

鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)は、京都市右京区の高山寺に伝来する4巻の絵巻物である。紙本墨画による白描の絵巻で、現在は甲・乙・丙・丁の4巻からなる。国宝に指定されている。制作時期は一括して定められるものではなく、甲巻・乙巻は平安時代後期、丙巻・丁巻は鎌倉時代の制作と考えられており、12世紀中頃から13世紀中頃にかけて成立した作品群とされる。[1][2][3]

相撲を取る蛙と兎。甲巻より

「鳥獣戯画」とも呼ばれ、特に甲巻に描かれた兎、蛙、猿などの擬人化された動物たちの遊戯や競技の場面が広く知られている。一方、乙巻は実在・空想上の動物を集めた動物図譜的な内容、丙巻は人物戯画と動物戯画、丁巻は人物を中心とする戯画であり、4巻は内容・画風ともに一様ではない。[1][2]

作者については、古くから鳥羽僧正覚猷(1053年 - 1140年)の筆と伝えられてきた。しかし、覚猷の画技や戯画制作に関する史料が存在する一方、鳥獣人物戯画を覚猷が描いたことを直接裏付ける証拠は確認されていない。絵仏師定智や義清阿闍梨などの名が作者候補として挙げられたこともあるが、いずれも確証を欠き、現在は作者未詳とするのが適切である。[1][4]

甲巻を中心とした動物たちの躍動的な描写は、現代の漫画やアニメーションにつながる表現の先駆的な例として紹介されることがあるが、成立時代の絵巻を現代の「漫画」とそのまま同一視することはできない。そのため、本作はしばしば「漫画の原点」などと評される一方、歴史的には中世の絵巻・戯画として位置づける必要がある。[2][5]

概要

鳥獣人物戯画は、現在4巻から構成されるが、4巻が当初から一組として同時に制作されたとは考えられていない。甲巻・乙巻は平安時代後期、丙巻・丁巻は鎌倉時代の制作とされ、巻ごとに内容、筆線、構図、表現方法が異なる。東京国立博物館は、4巻を合わせた全長が44メートルを超えるとしており、長大な画面を墨線のみで展開することも本作の大きな特徴である。[2]

高山寺公式サイトでは、甲巻を「擬人化された動物」、乙巻を「実在・空想上を合わせた動物図譜」、丙巻を「前半が人間風俗画、後半が動物戯画」、丁巻を「勝負事を中心とした人物画」と整理している。したがって、「動物の戯画」という印象だけで4巻全体を捉えることはできず、人間の遊戯や宗教的・社会的な行為を戯画化した部分も重要である。[1]

4巻はいずれも彩色を施さず、墨線を主体としている。東京国立博物館は、4巻それぞれに異なる墨線の特徴があることを指摘しており、同じ題材を扱う場合でも、筆線の太さ、濃淡、速度感、人物や動物の造形などに違いが認められる。[2]

各巻

甲巻

甲巻の水遊びの場面。猿や兎などの動物が水辺で遊ぶ。

甲巻は縦30.4センチメートル、全長1148.4センチメートルで、鳥獣人物戯画の中でも特に著名な巻である。兎、蛙、猿などを中心とする動物が人間のような姿勢や仕草を示し、水遊び、弓矢の稽古、競技、宴、追跡、相撲、法会など、さまざまな場面を連続的に演じる。高山寺は甲巻を4巻中の「白眉」と位置づけ、動物たちの遊戯を躍動感あふれる筆致で描いたものとしている。[1]

東京国立博物館によれば、甲巻には兎、猿、蛙をはじめ11種の動物が登場する。動物たちは単純に擬人化されているだけではなく、それぞれの身体的特徴を保ったまま、人間社会の遊戯や儀礼を思わせる行動をとる。こうした人間と動物の境界を自在に行き来する表現が、甲巻の大きな特色となっている。[2]

甲巻は、画面前半と後半で線描や動物の表情などに違いが認められ、東京国立博物館は別の人物によって描かれた可能性を指摘している。したがって、甲巻についても単一の作者による一貫した制作物と単純化することはできない。[2]

また、現在の甲巻は制作当初の姿をそのまま残したものではない。文化遺産オンラインは、甲巻がもとは二巻であったと推定され、伝来の過程で損傷を受けた結果、残存部分を一巻にまとめたものと説明している。そのため、現在の巻には脱落や錯簡があり、さらにいくつかの逸失断簡が存在する。[4]

甲巻の主な場面

甲巻冒頭では、谷川で水遊びをする兎、猿、鹿が描かれる。その後、蛙や兎が弓矢を扱う場面、宴の準備、動物たちの行列や追跡、相撲、法会などが続く。画面は文字による説明を伴わず、動物の姿勢、視線、手足の動き、持ち物などによって場面の意味を示している。[1][2]

特に相撲の場面では、兎と蛙が組み合う姿が描かれ、動物の身体的特徴を利用しながら人間の競技を表現している。また、法会の場面では動物たちが僧侶や参列者を思わせる役割を演じ、単なる動物観察ではなく、人間社会の風俗を動物に置き換える戯画として構成されている。[2]

甲巻の画面には、動物たちが一定の方向へ移動し、次の場面へと視線や身体の動きをつなげる構成がみられる。巻物を右から左へ展開する鑑賞形式と組み合わさることで、静止した一枚の絵とは異なる時間的な展開が生じる点も、甲巻が現代の漫画やアニメーションとの関連で語られる理由の一つである。[5]

乙巻

乙巻。実在する動物と想像上の動物を含む動物図譜的な内容をもつ。

乙巻は縦30.6センチメートル、全長1189.0センチメートルである。甲巻のような擬人化された動物の遊戯ではなく、実在・空想上の動物を写生的に描いた動物図譜的な内容を特徴とする。[1]

東京国立博物館によれば、乙巻には16種の動物が登場する。前半には牛、鷹、犬など日本でも身近な動物が描かれる一方、後半には虎、象など日本には生息しない動物や、麒麟、龍、獏など想像上の動物が登場する。したがって、乙巻は甲巻とは異なり、動物の擬人化よりも、さまざまな動物の姿を観察・想像して描くことに重点が置かれている。[2]

乙巻では、動物が人間の行為を演じるのではなく、それぞれの動物そのものの姿や特徴が描写の対象となる。そのため、甲巻と比較すると物語的な連続性は弱く、動物図鑑あるいは絵手本に近い性格をもつ巻として理解されている。[3]

丙巻

丙巻後半にみられる動物戯画。

丙巻は縦30.9センチメートル、全長933.3センチメートルである。前半には人物が登場し、囲碁、双六、耳引き、首引きなど、人々が遊戯や競技に興じる様子が描かれる。後半になると、甲巻と同じく擬人化された動物たちが登場する。[1]

東京国立博物館は、丙巻の前半を人物戯画、後半を動物戯画とし、後世に加筆された濃墨の線の下に残る原初的な線描に注目すると、滑らかで迷いのない筆致を確認できるとしている。また、その表現には平安時代の絵巻に通じる要素が認められ、制作時期が平安時代までさかのぼる可能性も指摘されている。[2]

高山寺の解説では、巻頭付近に囲碁に興じる僧と稚児、賭双六、耳引き、首引きなどが描かれる。こうした人物の遊戯や競技を描くことは、甲巻の動物たちが人間の行為を演じる構成とも共通しており、丙巻は人物と動物という異なる題材を通じて戯画的な表現を展開している。[1]

丁巻

丁巻は縦31.2センチメートル、全長1130.3センチメートルである。甲巻・丙巻のような動物中心の構成ではなく、人物のみを中心として、勝負事や曲芸、競い合いなどを描く。[1]

巻頭には侏儒の曲芸に続き、修験者と法師が験を競う場面が描かれる。また、裹頭によって頭や顔を覆った法師、曲げ物の上で舞う侏儒など、人物の身体的な動きそのものを利用した場面もみられる。高山寺は、丁巻の特徴を軽妙な筆運びに求めている。[1]

東京国立博物館は、丁巻を13世紀の人物主体の巻とし、甲巻や丙巻に描かれたモティーフを踏まえた表現が随所にみられることを指摘している。人物は他の3巻より大ぶりで、線描は太く、墨色も淡い。おおらかな印象を与えながら、速い筆運びによって人物の動きを的確に捉えている点が特徴である。[2]

成立と作者

鳥獣人物戯画の成立年代については、4巻を一つの時期にまとめて考えることはできない。高山寺は甲巻・乙巻を平安時代後期、丙巻・丁巻を鎌倉時代の制作とする。東京国立博物館も、全体を平安時代末頃から鎌倉時代初め頃にかけて成立した作品群として説明し、甲・乙を12世紀、丙を12~13世紀、丁を13世紀の作品としている。[1][2]

作者については、鳥羽僧正覚猷の名が伝承されている。覚猷は天台僧で、絵画に関する知識と技量をもつ人物として知られ、戯画を描いたという伝承とも結びついてきた。しかし、鳥獣人物戯画そのものを覚猷が描いたことを直接示す史料はない。文化遺産オンラインも、覚猷に高い絵画技術があったことや風刺的な戯画を描いたことが文献から知られる一方、鳥獣戯画の作者であることを示す直接的証拠はないとしている。[4]

また、各巻の内容・画風・制作時期が異なることから、現在では単一の作者による一作品という見方よりも、複数の絵師によって異なる時期に制作された作品群が伝来の過程でまとめられたものとして捉える考え方が有力である。[3]

高山寺は、鳥獣人物戯画を天台僧の「をこ絵」(即興的な戯画)の伝統に連なるものと考えている。ただし、この位置づけについても作者や制作事情が確定しているわけではなく、中世の戯画表現の一環として理解することが適切である。[1]

伝来と構成の変遷

現在の4巻は、制作当初の姿をそのまま保持したものではない。とりわけ甲巻については、もとは二巻であったと推定され、伝来の過程で損傷や分断が生じ、残存部分が一巻にまとめられたと考えられている。これに伴って画面の脱落や順序の錯綜が生じ、現在の甲巻だけでは本来の全体像を完全には復元できない。[4]

東京国立博物館によれば、現在確認されている断簡は5点で、甲巻から分かれたものが4点、丁巻から分かれたものが1点である。断簡の多くは、もともと巻物の一部であったものが伝来の過程で分離し、保存・鑑賞のため掛軸などに改装されたものである。[2][6]

断簡や模本の研究は、失われた画面を補うだけでなく、現在の巻物における場面の順序や、制作当初の構成を復元するうえでも重要である。東京国立博物館は、過去の鳥獣戯画を写した模本の中に、現存本では失われた場面や、本来の絵の順序を推測する手がかりが残されていることを指摘している。[2]

断簡

鳥獣人物戯画の断簡は、現存する4巻から分離した画面の一部である。現在確認されている5点のうち4点が甲巻、1点が丁巻に由来する。断簡は原本の一部を直接伝えるため、現存巻の欠落箇所や画面構成を研究するうえで重要な資料となっている。[2][6]

東京国立博物館所蔵断簡

東京国立博物館所蔵の「鳥獣戯画断簡(東博本)」は重要文化財に指定されている。縦30.7センチメートル、横83.2センチメートルの紙本墨画・掛幅装で、甲巻から分離した断簡である。詳細な調査により、甲巻第16紙の前に接続する部分であることが確認されている。[7]

この断簡には、仮装した蛙、狐、猿などが練り歩く姿が描かれる。甲巻第16紙との接続については、左端の点描や萩の花の表現、料紙寸法などから従来から推測されていたが、全巻の解体修理に伴う料紙調査によって、断簡左端の紙と甲巻第16紙がもとは一枚の紙であったことが確認され、接続が確実となった。また、甲巻の紙継ぎにみられる「高山寺」印が断簡には存在しないことから、高山寺印の捺印以前に切り離されたと考えられている。[7]

MIHO MUSEUM保管断簡

2023年に重要文化財に指定された甲巻断簡は、縦28.6センチメートル、横51.2センチメートルの紙本墨画・掛幅装で、MIHO MUSEUMが保管している。秋草を背景として、擬人化された猿、蛙、鼠などが描かれる。現在の甲巻とは直接接続しないが、様式と料紙の特徴から甲巻に属することが確実とされている。[8]

この断簡は、慶長3年(1598年)成立の住吉家旧蔵模本に相当する場面が確認され、烏帽子をかぶった猿が疾走する鹿を追う場面と、蛙・兎・猿が蹴鞠に興じる場面との間に位置していたことが判明している。さらに、平成21年(2009年)から平成24年(2012年)にかけての鳥獣人物戯画解体修理時に行われた料紙調査では、甲巻前半の料紙と共通する特徴が確認され、料紙の面からも甲巻所属が裏付けられた。[8]

その他の断簡

甲巻の断簡には、現在の巻面から失われた場面を伝えるものが複数存在する。文化遺産オンラインには、甲巻の逸失断簡について、兎、猿、蛙を中心とする動物たちが描かれ、江戸時代の模本などとの照合によって本来の場面構成が推定できる例が登録されている。こうした断簡は、現存する甲巻だけでは把握できない制作当初の構成を復元する資料となっている。[4]

模本

鳥獣人物戯画には、江戸時代以降に制作された模本が複数伝わっている。模本は単なる複製ではなく、原本から失われた画面や、後に分断された以前の構成を知るための重要な資料である。東京国立博物館は、過去の鳥獣戯画を写した模本の中に、現在では失われた画面が残されているものや、もともとの絵の順序を推測する手がかりとなるものがあると説明している。[2]

文化遺産オンラインに登録されている「鳥獣人物戯画(模本)」には、江戸時代の浦上春琴による模本がある。この模本は、現在分断されて国内外に所蔵される甲巻系統の別本が分かれる以前に写されたもので、現存本では失われた場面を確認できる資料とされている。[9]

このほか、明治19年(1886年)に前田貫業が模写した「鳥獣戯画(模本)」や、明治期の山崎董詮による4巻本の模本なども確認されている。これらの模本は、原本の保存状態や伝来によって失われた部分を考察する際の比較資料となる。[10][11]

保存修理と調査

鳥獣人物戯画は制作から約800年を経ており、紙そのものの劣化や損傷、過去の修理による影響などが蓄積していた。京都国立博物館によれば、平成25年(2013年)3月に完了した保存修復は4年をかけて実施され、和紙の劣化や退色、虫食い、小さな焦げ跡、江戸時代の修理で使用された裏打ち紙の影響などが確認されていた。[5]

また、甲巻断簡の調査では、平成21年(2009年)から平成24年(2012年)にかけて行われた全巻の解体修理に伴って料紙の詳細な調査が実施され、甲巻前半と後半で料紙の質が異なることが確認された。この調査は、単なる保存処置にとどまらず、断簡が原本のどの位置に属していたかを明らかにする美術史研究にもつながっている。[8][7]

このように、鳥獣人物戯画の研究では、画面そのものの図像や筆線だけでなく、紙の種類、紙継ぎ、印章、断簡の接続、古い模本との照合など、物質的な調査が重要な役割を果たしている。現存する4巻だけを観察するのではなく、断簡や模本を含めて作品の伝来過程を復元することによって、制作当初の姿に近づくことが試みられている。[2][7][8]

表現上の特徴

鳥獣人物戯画の大きな特徴は、彩色をほとんど用いず、墨線によって人物や動物の動きを表現する点にある。特に甲巻では、線の太さや速度、身体の向き、視線、手足の位置を巧みに変化させることで、静止した画面の中に連続した動きを生み出している。[1][2]

また、動物の身体的特徴を保ちながら人間の行為を演じさせる擬人化も重要である。兎や蛙、猿は人間のように競技を行い、遊び、行列し、法会に参加する。その一方で、動物本来の姿勢や体格、表情が残されているため、人間の行為と動物の生態が重なり合った独特の可笑しさが生じている。[1]

この表現は甲巻だけに限られない。丙巻では人間の遊戯と動物の遊戯が一つの巻に組み合わされ、丁巻では人物そのものの大きな動きや競技性が強調される。したがって、鳥獣人物戯画全体は「動物を人間のように描いた作品」という一面的な理解よりも、人物・動物・遊戯・競技・儀礼などを戯画的に再構成した作品群として捉える方が適切である。[2]

文化的評価と後世の受容

鳥獣人物戯画は、日本絵画史を代表する絵巻の一つとして広く知られている。特に甲巻の兎や蛙などの表現は、動物の擬人化、連続する場面展開、簡潔な線描による動きの表現などの点から、現代の漫画やアニメーションとの関係でしばしば論じられてきた。京都国立博物館も甲巻について「現代の漫画の原点」と表現している。[5]

ただし、こうした評価は現代の表現文化から見た比喩的な位置づけであり、鳥獣人物戯画そのものは12~13世紀の絵巻である。文字による台詞やコマ割りを備えた現代漫画と同じ形式ではなく、巻物を展開しながら連続する画面を鑑賞する中世の絵画表現として理解する必要がある。[2]

現在では、甲巻だけでなく乙・丙・丁の各巻、さらに断簡や模本を含めて研究・展示されるようになっている。2021年の東京国立博物館特別展「国宝 鳥獣戯画のすべて」では、4巻全体に加え、断簡と模本をまとめて紹介し、現存する4巻だけでは把握できない作品の全体像を示す試みが行われた。[2]

ギャラリー

甲巻

甲巻の各場面は、現代の漫画のように枠線で区切られていない。巻物を展開する方向に沿って動物の視線、身体の向き、道具、地面の線などが次の場面へとつながり、連続した時間の流れを形成している。[2]

画像はいずれもWikimedia Commonsの「Chōjū-jinbutsu-giga」関連資料として公開されている。各ファイルの説明では東京国立博物館所蔵品の写真版スキャン画像を出典としている。[12]

断簡・模本

断簡は、現在の巻物から分離した原本の一部である。東京国立博物館によれば、現在確認されている鳥獣人物戯画の断簡は5点で、その内訳は甲巻4点、丁巻1点である。断簡の中には、現在の巻面と直接接続するものがあり、現存する巻の欠落部分や本来の構成を明らかにする重要な資料となっている。[2][6]

東京国立博物館所蔵の甲巻断簡は、甲巻第16紙との接続が確認されている。文化庁の国指定文化財等データベースによれば、詳細な調査によって断簡左端の紙と甲巻第16紙がもとは一枚の紙であったことが確認され、原本の位置が確定した。[7]

また、甲巻断簡の一部は、古い模本との比較によって現在の巻には残らない場面の存在を明らかにする。模本は、原本の保存状態が現在より良かった時期の画面を写している場合があるため、失われた部分や本来の順序を復元するうえで重要である。[2]

関連項目

脚注

外部リンク

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