桂歌丸によると、神経質な性格で、楽屋で緊張して固まってしまうことが多かった。また、部屋や衣服が何から何まで汚く、後述の結核で亡くなったとのこと。歌丸はあまりの無精を見かね、梅橋の汚い下着を洗ってあげた。そのことで梅橋に感謝され稽古をつけてあげると言われたが、「あまりに部屋が汚いので」断った。そして結局、歌丸は梅橋に稽古をつけてもらうことはなかった。
ラジオ番組「落語討論会」(文化放送)でレギュラーを持っていた。眼鏡を掛けて高座に上がった最初の落語家とされるが、これも正岡の勧めによったものである[2]。師匠の影響で自作の『幽霊タクシー』などの新作落語を演じ期待も大きかったが、結核のため29歳で死去した。