鶴見山古墳
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武装石人(国の重要文化財)
八女市蔵、九州国立博物館特別展示時に撮影。- 全長104m、墳丘長87.5m[1]
- 前方部幅59m、高さ6.6m
- 後円部径46m、高さ7.5m
墳丘は2段または3段築成で、前方部を西に向ける[1]。
後円部中央の南から少しくびれ部に寄ったところに横穴式石室の開口部がある。玄室の奥壁と側壁には巨大な角閃石安山岩が使用されていて、東側壁には幅が4mもあるものが使用されていた。また西側壁には全国的にも初例となる「刻線」が確認されているが、その意図はわかっていない。石室内は赤色顔料(ベンガラか)が全面に塗られており、同じ八女古墳群の童男山古墳に類似する。天井石は江戸時代に抜き取られ、現在八女公園内に戦没者慰霊碑として残されている[1]。
鶴見山古墳が造営されたのは、出土品や石室構造から6世紀中頃と考えられる。この時期は磐井の乱を起こした筑紫君磐井の次世代に当たり、被葬者は磐井の子「葛子」である可能性がある[1]。
出土品
文化財
重要文化財(国指定)
- 武装石人 福岡県鶴見山古墳出土(考古資料) - 岩戸山歴史文化交流館保管、2010年(平成22年)6月29日指定[2]。