鶴見良行
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1926年、外交官・鶴見憲の息子としてアメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに生まれた。外交官の父の仕事の影響で、ワシントンD.C.、ポートランド、ハルビンなど一家は在外生活を重ねた。第一高等学校の受験に失敗して、東京外国語学校に入学[1]。同校を1年で退学し[2]、水戸高等学校を経て、東京大学法学部に入学した。1952年に東京大学法学部を卒業[3]。
1946年にいとこの鶴見俊輔、鶴見和子が関係した雑誌『思想の科学』が発刊されると、思想の科学研究会の常任活動に参加し、自身はコミュニケーション論を研究した[4]。一時結核で倒れたため療養生活を送ったが[4]、1955年から1986年まで国際文化会館に勤務した(1973年から1986年の間は、嘱託勤務[5])。1965年にはベトナムに平和を!市民連合発足に参加。これに前後する時期には、頻繁にアジア諸国へ渡航し、研究を深めた。1973年、アジア太平洋資料センター設立のメンバーとなり、独自なアプローチによるアジア探究者として旺盛な研究活動を本格化した。
上智大学講師を経て[4]、1989年より晩年まで龍谷大学経済学部教授を務めた[6]。1994年、『ココス島奇譚』執筆中[7]、京都の自宅にて急逝[8]。