鷹の尾城
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鷹の尾城 (たかのおじょう) は、兵庫県三木市にかつて存在した城。鷹尾山城と記載されている資料もある。三木城の新城の南側に三木城の出城として設けられた。現在の三木勤労者体育センターの西側を本丸として、三木市役所の一部と三木市文化会館の敷地を含む高台に位置していた[1]。その規模は東西約400m、南北約300mである。三木城復元概要図(宮田逸民案,原図: 令和6年2月20日 三木市 都市整備部 都市政策課 発行)によると、鷹の尾城は西・南・北側の急峻な斜面を利用した天然の要害で、三木城の弱点とされる南側の防衛の要として、また東側の兵庫道を監視するために、鷹の尾城の南約200mに位置する宮ノ上要害と連携して機能したと推測される。1578(天正6)年3月頃から足掛け3年にわたる織田勢による兵糧攻めの後、1580(天正8)年正月6日に宮ノ上要害が、続いて同月11日には鷹の尾城が抗戦の末に落城し、三木城本城は同月17日に降伏開城した[2]。(三木合戦)